会社を売却した経営者の「その後」は、再起業や投資家への転身が一般的なイメージかもしれません。しかし、まったく異なる道を歩んだ人物がいます。 今回お話を伺ったのは、起業支援事業を担う、株式会社ウィルフ(以下ウィルフ)を立ち上げ、株式会社アントレ(以下、アントレ)へ数億円での売却を実現した黒石健太郎氏です。ロックアップを経て代表を退任。現在は岡山県瀬戸内市の市長として地方自治の最前線に立っています。起業から、自力で開拓したM&Aの裏側、そしてM&Aがキャリアの選択肢をどう広げたのかを語っていただきました。
インタビュイー

黒石健太郎
株式会社ハワーズ 代表取締役
瀬戸内市長(岡山県・邑久町/長船町/牛窓町を含む) 。東大法→リクルート→ウィルフ起業→売却→ハワーズ起業→2025/6より瀬戸内市長に就任。「成功確率が格段に上がる起業の準備」(かんき出版)、「渋谷で教える起業先生」(毎日新聞出版)著
簡単に自己紹介をお願いします。
黒石健太郎と申します。今は岡山県の瀬戸内市で市長をやっています。もともとは新卒でリクルートに入社し、7年半ほど勤めたのち、29歳で独立・起業しました。その会社を、創業7〜8年目あたりでM&Aしました。
M&Aを最初に意識されたきっかけは、どういったものだったのでしょうか。
具体的に意識したのはもっと後ですが、その種があったのは創業1年目です。サイバーエージェントさんから出資をいただいたのですが、その際、投資の起案にあたってエグジットのシナリオを描く必要がありました。当時描いていたのは、リクルートグループ内に創業支援・起業支援を行っている事業部があったので、最後はリクルートに売却できるといいな、というストーリーでした。
売却以外の選択肢も、併せて検討されていたのでしょうか。
創業1年目から出資をいただき、2年目には上場企業やベンチャーキャピタルなど、最大で10社ほどに株主として入っていただいていたので、どこかのタイミングで株主還元を考える必要がありました。会社を売却するのか、上場するのか、配当を出して継続経営するのか、自分ですべての株式を買い取って続けるのか。すべての選択肢を考えたうえで、最終的にM&Aに至りました。
M&Aに向けて動き出したのは、いつ頃ですか。
意識し始めたのは、コロナ禍に入ったタイミングです。我々は長年、渋谷にセミナールームを構えて教育サービスを行っていましたが、やむを得ずオンライン化に踏み切りました。すると、「渋谷の実績ある起業の学校に全国から通える」と、受講生が一気に2〜3倍に増えたんです。同時に、年間数千万円かかっていた家賃コストがほぼゼロになり、利益が急増しました。かなりの利益が出るようになり、その段階で具体的なM&Aの検討が始まりました。
当時の組織体制は、どれくらいの規模だったのでしょうか。
少数精鋭でした。社員が5〜6名、業務委託の方も含めて、全体で十数名ほどです。もともと、学生起業スクールという、起業を考える大学生を応援する事業をやっていたのですが、学生起業だけに立脚するとマーケット規模が小さい。社会人マーケットに広げなければ、これ以上の成長はないと、ずっと考えていました。
一度は社会人向けに挑戦したものの、初速がうまくいかず断念したのですが、そこに再挑戦するなら、アントレさんと組むのが最も成長スピードが速いだろう、という判断もありました。
売却までは、どのような流れで進めていったのでしょうか。
最初は私自身がトップ営業として、飛び込みで動きました。M&Aを考えてくれそうな上場企業や大企業のオーナー経営者、創業社長に手紙を書いて回ったんです。数え切れないほど多くの方にお時間をいただきましたが、それだけではうまくいかず、自分の観点に抜け漏れがあるのではないかと考え、M&A仲介会社にも相談しました。
アントレさんとはどのように出会われたのですか。
それでも可能性のありそうな先が出てこなくて、さらに選択肢を探すなかでM&Aクラウドさんを見ていたところ、アントレさんを見つけたんです。アントレさんがリクルートグループから分離独立していたことを当時は存じ上げなかったので、「別会社になっているなら、さらにシナジーがあるかもしれない」と思って連絡しました。お互いにとって、たまたまいいタイミングでお会いできた、という感じです。
トップ面談はかなりの数をこなされたのですか。
M&Aクラウドさん経由の面談は、アントレさんだけでした。ただ、自分で直接アプローチして実現したトップ面談は数多くありました。仲介会社経由の面談もいくつかあり、合計すると数十件は行っていると思います。
もう一度やり直すとしたら、仲介に頼むか、ご自身で営業するか。どちらを選びますか。
もう一度やり直すなら、すべて自分でアプローチします。結局は出会いが大事で、可能性のある企業のリストさえあれば、僕は営業出身なので、コミュニケーションは自分で取れたな、という感覚があるんです。
実際、大きなトラブルもありませんでした。契約書のチェックは弁護士に相談し、リスクを洗い出しながら進めました。それ以外のリスクが顕在化することもありませんでした。
連絡してから成約まで、期間はどれくらいでしたか。
M&Aクラウドさんで最初に問い合わせてから、契約締結まで5か月ほどだったと思います。売却額は数億円台半ばくらいですね。前年実績だけで見ると、その金額には全然届かない水準でしたが、コロナ禍で急成長し始めた途中だったので、そこを評価していただいた部分はあると思います。
M&Aの過程で、想定より難しかった点はありますか。
想定外に難しいことはそれほどありませんでしたが、過去7年分の契約書をすべて洗い出して精査する作業は大変でした。
直近のものだけでなく、創業当時から使っている契約書をすべて発掘してリスクを確認するのですが、書類がそれほど整理されていたわけではなく、紙ベースの古いものもありました。それらをすべて掘り出すのが大変だった、というくらいですね。
ロックアップ期間は3年半ほどと伺いました。なぜその年数に。
計画自体はもっと長いものでした。先方が上場を検討していたため、そのシナリオに沿って、上場に至るまでという想定だったんです。
ただ、別会社で運営するより、統合して一緒にやったほうが合理化できるだろうということになり、統合に伴って代表のポジションがなくなりました。それに伴ってロックアップもなくなり、3年半ほどで退任しました。
PMIの過程で、裁量を持てなくなるケースも多いと聞きます。黒石さんはいかがでしたか。
混乱が生じたのは、最初の数か月だけでした。当初は親会社もPMIを進めようと、さまざまな業務の進め方を統合し、効率化しようとされたのですが、それがうまくいかず、業績が下がる場面も出てきました。
「親会社の意向でやり方を変えて業績が下がるなら、それはそちらの責任ですよね」というコミュニケーションになり、今後の運営方針をすり合わせる機会ができたんです。そこで、こちら側の経営方針で任せていただけるようになりました。
会社を売却されて、率直な心境やプライベートの変化はありましたか。
いろいろな会社と交渉しては決裂することを繰り返していたので、すべて完了してホッとしました。生活面の変化としては、子どもが生まれるタイミングだったこともあり、渋谷から徒歩圏内にあるマンションから横浜の庭付き一戸建てに引っ越し、畑を始めたことくらいですね。得た資金は、立ち上げた広告代理店の資本金に充て、残りはすべて上場企業の株式投資に回しました。
会社売却後、2025年には市長に就任されています。どういう流れだったのでしょうか。
次のキャリアが決まっていなかったので、SNSで「何か提案はないか」と投稿したんです。いろいろなオファーをいただくなかで、地元の衆議院議員の方から秘書のお話をいただき、政治への思いもあったため、お受けしました。
その流れで、選挙区の一つである瀬戸内市の現職市長が退任されることになり、ご縁があって今に至ります。
経営の経験は、行政でも活きていますか。
大いに活きています。行政は単年度の予算で物事を考えがちですが、私は経営における「LTV(顧客生涯価値)」の考え方を導入し、積極的な財政投資を行っています。例えば、保育料や給食費の無償化など、子育て政策に多額の投資をしています。経営視点を持つことで、行政サービスにおいて大胆な投資判断ができるようになりました。
M&Aをして良かった点と、後悔している点があれば教えてください。
良かったのは、選択肢が一気に広がったことです。経営していると、株主や従業員への責任があって、すべての裁量権を持っているはずなのに、いろいろな方の顔を想像すると、意思決定もキャリアも狭まっていました。それがM&Aを経て、一気に広がりました。M&Aをしなければ、今こうして市長をやれていることもなかったと思います。
後悔というほどではないですが、創業当時から人生をかけて取り組んできた事業は、創業社長にとってはおもちゃのようなもので、好きなことに熱中していたから本当に楽しかったです。それを手放してしまったことで、「自分が熱中して人生をかけられるものを探す旅」が始まってしまったんです。サーフィンスクールやヨットスクールに通ってみたり、畑を始めてみたり、自分が何に興味があるのかも分からないまま、しばらくさまよいました。会社を売却すると、楽しいと思えるものを探すのに意外と苦労するものだな、と感じましたね。
M&Aのタイミングについては、振り返ってどう思われますか。
もっと早くやればよかった、ということはないですね。早すぎれば、株価がつかなかったと思います。コロナバブルまではずっと停滞していて、伸びていない会社を買う人はいません。きちんと会社が伸びる状態まで持っていくのは経営者の責任で、伸びるタイミングでやるのがいいと思います。我々にとっては、適切なタイミングだったと思います。
最後に、経営者の皆さんへメッセージをお願いします。
M&Aのタイミングとしては、「会社が伸びている状態」まで持っていってから行うのがベストだと思います。停滞している状態で売ろうとしても、なかなか買い手はつきません。
現在は瀬戸内市長として、全国の自治体の中でも最速のスピードで意思決定を行っています。6月1日から「オープンクリエイション官民共創宣言」という制度を開始し、インターネットから直接市長に提案ができるようになりました。企業誘致や新築・空き家の住宅開発、DX推進など、意思決定の早い自治体のロールモデルを共に作っていただける企業からのご提案を、幅広くお待ちしております。

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