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事業売却メディア・広告

倒産危機からGMOへの売却まで——加藤よえ子氏が語る、すべてを失って得た自由な生き方

2026/5/7日広
倒産危機からGMOへの売却まで——加藤よえ子氏が語る、すべてを失って得た自由な生き方

目次

  1. 1.ダイヤルQ2のベンチャーから始まった経営者人生
  2. 2.25歳で創業した日広——雑誌広告からインターネット広告へ
  3. 3.ビットバレー時代——上場を目指さなかった経営判断
  4. 4.ライブドアショックと2年半の撤退戦
  5. 5.GMOインターネットへの第三者割当増資
  6. 6.シンガポール移住とレンズモード——半ゾーン型エンジェル投資の始まり
  7. 7.メガトレンドの読み——ビットコイン、再生医療、AI
  8. 8.若手起業家へのメッセージ——「買い手に回ってほしい」

ダイヤルQ2のベンチャーから始まった経営者人生


加藤よえ子氏は1967年、大阪の商売人の家系に生まれた。「11歳ぐらいの時から家の商売を継ぐことについては意識させられた」という環境で育ちながらも、学生時代に出会った先輩との縁で、1986年に学生起業を経験する。


1989年、先輩たちが東京で立ち上げたダイヤルQ2のベンチャー「ダイヤルQネットワーク」に資本参加。親から借りた450万円を出資し、約10%の株式を取得した。大学卒業後の1991年4月、部長として正式に入社する。


しかし、入社からわずか1ヶ月で会社は倒産する。NTTのダイヤルQ2サービスが社会問題化したことが直接の引き金となった。当時24歳、7人の部下を抱えた状態で迎えた最初の挫折だった。


「ダイヤルQネットワークがどうなるんだろうとかいうよりは、罪の重さっていうか、なんか僕の入った会社がダメになっちゃった」——加藤氏が痛感したのは、47歳で子供3人を抱えた管理職を含む、自分以外ほぼ全員年上のメンバーに退職を求めなければならない無力感だった。「会社をダメにするってのは本当すごい怖いなって、24歳で思いました」。


25歳で創業した日広——雑誌広告からインターネット広告へ


その後、徳間書店に1年4ヶ月在籍した加藤氏は、1992年、25歳で雑誌広告会社「日広」を創業する。資本金100万円、有限会社としてのスタートだった。


主な顧客は、男女のマッチング(2ショットダイヤル)を提供する業者。男性向け・女性向けの電話番号を雑誌に掲載する広告事業に特化し、創業初期から黒字を出し続けた。「いい枠さえ仕入れてくれば、いくらでも売れる状況が最初からあった」と振り返る。


転機は1995年、Windows 95の発売だった。


「これちょっと大変な時代が来るんじゃないか」と直感した加藤氏は、雑誌広告の好調事業をあえてインターネット広告へとシフトする決断を下す。当初はISP(インターネットサービスプロバイダー)の広告を初心者向けインターネット雑誌に掲載するという、雑誌広告事業との連続性のある形で参入した。


ビットバレー時代——上場を目指さなかった経営判断


1998年から1999年にかけて、サイバーエージェント、セプテーニ、オプトといった競合が次々と誕生し、ビットバレーと呼ばれる時代が到来する。多くの同業他社がIPOを目指す中、加藤氏は別の道を選んだ。


「上場というよりは、マイカンパニーからアカンパニーに変えなきゃいけない」——そう考えた加藤氏は、自分より優秀な3名の取締役を外部から招き、組織体制を整備。社員数を一気に30名規模まで拡大した。


もう一つの特徴的な動きが、エンジェル投資である。1998年から2004年にかけて、取引先や協力会社など約35社に投資。当時はデューデリジェンス(投資先企業の事業性精査)もシリーズAという概念もなく、人間関係で成立する世界だった。投資先のうちGMOインターネット、マグクリック、リジットなど6社が上場を果たし、結果的に高い成功確率を記録した。


2000年代前半、日広は急成長を続けた。社員旅行は年1回の海外旅行を含む大規模なもの。月10億円の広告売上を計上した時期もあり、年間納税額が7億円に達した年もあった。


ライブドアショックと2年半の撤退戦


2006年1月のライブドア事件をきっかけに、状況は一変する。


日広の最大顧客の中には、ライブドアやインデックスなどネット系企業が多数含まれていた。ライブドア事件後、これらの企業が次々と廃業・上場廃止に追い込まれ、日広の売上は2006年3月の月10億円から、わずか半年で月6億円まで急落する。


ネット広告は粗利が薄く、売上が急減すると即座にキャッシュフローが悪化する構造だった。さらに顧客の倒産により売掛金の回収不能が発生する一方、媒体への支払いは継続しなければならない——。「1000万円回収できない、でも800万円今月中に払わなきゃいけない」という状況が続いた。


2007年は通期で毎月赤字。役員報酬を30%しか受け取らず、自身の個人資金も会社の資金繰り補填に投じたが、出血は止まらなかった。「個人でお金を溶かすんですけど、まったく激は止まらない」「結局4億から5億ぐらいの間で下げ止まった」と語る。


2007年夏、初めて希望退職を募集。約100名のうち40名が退職した。それでも冬のボーナス支払いの目処は立たなかった。


GMOインターネットへの第三者割当増資


万策尽きた加藤氏が選んだのが、第三者割当増資による経営権譲渡だった。候補は最大顧客の一つだったGMOインターネットと、もう一社の大手広告代理店。最終的にGMOを選んだ理由を、加藤氏は次のように語る。


「日本の国として新しくできた会社を冷遇して、昔からあるJTC(伝統的日本企業)を保護するっていうのは、僕は全然いいことじゃないなって思っていた」。リーマンショックを目前にした不透明な世相の中で、新しい時代を作るネット企業を残したいという信念が背景にあった。


2008年5月、66.7%の第三者割当増資を実施。日広はGMOインターネットの連結子会社となった。譲渡条件として「日広という社名を残すこと」を約束してもらい、その後の3年間は出向役員も派遣されなかった。現在も日広は上場企業GMOアドパートナーズの100%子会社として、約300名規模の組織に成長している。


シンガポール移住とレンズモード——半ゾーン型エンジェル投資の始まり


譲渡後、加藤氏は41歳でシンガポールへ移住する。


移住の決め手となったのが、2003年に出資していたコンタクトレンズ通販会社「レンズモード」だった。創業者の楢林氏は、日本の薬機法上の自主規制で困難なコンタクトレンズ通販を、シンガポールから日本の消費者へ届けるビジネスモデルを構築。創業初期は赤字続きだったが、円高進行と事業成長により、2007年には配当を出せる水準にまで回復していた。


シンガポールで配当を受け取れば、日本での20%源泉徴収が不要となる税務上のメリットもあった。「火曜日だけ会議に行けばいい」という条件で経営に関与する形となり、加藤氏は妻と当時5歳の娘とともに移住した。


その後、加藤氏は独自の投資スタイルを確立する。出資したまま放置するエンジェル投資ではなく、月1〜2回の経営会議に参加し、部下を持ち、会議体に関与する「半ゾーン型エンジェル投資」だ。シンガポール移住後の15〜16年間で約50社に投資し、現在も毎月15社程度の役員会・マーケティング会議に参加している。


投資先は東京・シンガポールの会社が中心だが、フィリピン、インドネシア、マレーシア、ベトナム、バンクーバーなど、買収・新規拠点設立のため各地を訪問する機会も多いという。


メガトレンドの読み——ビットコイン、再生医療、AI


加藤氏は現在、3つのメガトレンドに注目している。


一つ目はビットコインだ。「ビットコインが世の中を変える」——この確信は10年前から変わらないという。「ダイヤルQ2、雑誌広告、インターネット、モバイルインターネット、運用型広告」と続いてきたゲームチェンジの次のメガトレンドが、ビットコインだと位置付けている。


二つ目は再生医療。6年前に幹細胞治療に出会い、自身も4回投与を受けた経験から、医療の根本を変える技術だと確信している。シンガポールで医療事業に関わる中で、すでに100名以上の顧客に治療を提供してきた。


三つ目はAIだが、加藤氏のスタンスはやや独特だ。「AIそのものをビジネスのコアにすると、いたちごっこの果てに陶汰がすごく進む気がする」「AI会社って、今あんまり儲かる気はしていない」と語る。代わりに、既存ビジネスでAIをうまく使いこなせる企業が勝つと見ている。実際、レンズモードでも従来は数千万円かかっていたシステム開発・データ分析業務が、AIによって大幅に圧縮されているという。


若手起業家へのメッセージ——「買い手に回ってほしい」


M&A体験談を語る最終章で、加藤氏は若手経営者への明確なメッセージを発した。


「若い人がちょっと自分の会社を作って売って、ちょっと小銭を得るって、あんまりいいことないと思っている」「40歳未満だったら、買い手に回ってほしい」。


背景にあるのは、後継者不在企業の急増と、インバウンド市場の拡大だ。シンガポールでは年間で人口の約6割にあたる340万人が日本を訪問しているという統計を引きながら、加藤氏はインバウンド需要が現在の3000万人から6000万人規模へ倍増すると予測する。


地方には後継者がいないために事業継続に困っている優良企業が多数存在する。日本語しか話せない経営者でも、AIを駆使すれば言語の壁は越えられる時代になった。「日本語しか話せない人から会社をAIを駆使して引き継ぐ。若い人にはそれができる」と加藤氏は語る。


「自分は1個の会社を買うだけだけど、1個会社を買うだけで、その周りのエコシステム全部を救うことになることだってある」——後継者不在の事業承継は、地方経済と雇用を守る希望になり得る。それが、自身も創業から売却、そして次世代の経営支援まで経験してきた加藤氏が、これからの世代に託したいメッセージだった。


※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです

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