「会社を売る」ことを前提に起業する——。近年、M&Aによるエグジットを当初から見据えて事業を立ち上げる起業家が増えています。 今回お話を伺ったのは、25歳という若さで「株式会社Real us(以下、Real us)」と「株式会社En place(以下、En place)の2社を、東証上場企業である株式会社エフ・コード(以下、エフ・コード)へ連続売却した小林理玖氏。学生時代の起業から数年で数億円規模のエグジットを実現した小林氏に、出口から逆算する事業戦略、売却先選びの判断軸、そしてアドバイザー選びの極意まで、M&Aのリアルな裏側を語っていただきました。
インタビュイー

小林さんがM&Aを意識されたのは、いつ頃だったのでしょうか。
本当に一番最初からです。もともと「M&Aをしたいから事業を始めた」ので、インスタグラムのアカウントを立ち上げた時点で、「会社を売りたい」と考えていました。
なぜ起業を選んだのですか。
学生時代は全寮制でボート部に所属し、非常に忙しい毎日を送っていました。ところがコロナ禍で部活動がなくなり、あまりにも暇になってしまいまして。その頃、SEOメディアが10億円で売却されたという記事を目にして、初めてM&Aという選択肢を知りました。就職活動では外資系や総合商社に落ち、「自分はエリート街道では1位になれない」と痛感していたので、人と違う形で勝つための生存戦略として、M&Aによるエグジットを目指す道を選びました。
最初は、どのような事業から始めたのでしょうか。
スタートはインスタグラムのアカウント運用でした。ただ、アカウント単体では高額での売却は難しいと気づき、法人化してインフルエンサー支援サービスへと展開していきました。
インフルエンサー支援とは、具体的にどんなビジネスモデルなのでしょうか。
ゼロから育てるのではなく、すでにフォロワー1万人以上で収益を上げているインフルエンサーに絞って支援する「KUROMAKU」というサービスです。彼らを起点に、結婚式の花束をキャンドルに加工する「ベルブーケ」という事業や、SNSの運用代行、広告代理事業などを一緒に立ち上げていく。いわばPEファンドのようなモデルですね。
現在のBtoB領域へシフトした経緯を教えてください。
並行してEn placeという店舗支援の会社も運営し、法人開拓に力を入れていました。その過程で「意外と多くの企業が法人のリード獲得に困っている」と気づいたんです。そこで現在は、インフルエンサー事業は現状維持としつつ、BtoBのリード獲得支援・営業支援をメイン事業に据えています。
2023年8月にReal usを、翌2024年2月にEn placeをエフ・コードへ連続売却されました。売却先としてエフ・コードを選んだ決め手は何だったのでしょうか。
実は、エフ・コードは第一志望ではありませんでした。もう1社、売却金額がより大きく従業員規模も巨大な会社との交渉が、最終段階まで進んでいたんです。ただ、そちらは出社義務があり、経営方針への介入もあり、ロックアップ期間も長い——という条件でした。僕は人から指示されるのがどうしても無理な性格なので、出社義務も経営への介入もないエフ・コードの圧倒的な「自由さ」を選びました。
ロックアップ期間中でも制約は少ないのですか。
私の場合、マルチプル(倍率)が4倍だったのでロックアップ期間は4年ですが、副業も認められていますし、Real usとして別会社や事業を買収して伸ばす活動も許可されています。数字の責任さえ果たせば、かなり自由な社風です。
株式の売却方法はどのようなものでしたか。
まず株式の85%を売却し、残り15%を4年後のアーンアウト(業績連動型の買い取り)とする「2段階エグジット」を採用しました。一般的なロックアップ期間中は経済的なインセンティブが薄れ、創業者がいわゆる「ゾンビ化」してしまうケースが少なくありません。しかしこの設計なら、株の価値が上がるほど高く買い取ってもらえる。だからこそ、企業価値を高めるモチベーションを維持できるんです。「10億円で売りたい」という私の無茶な要望に対しても、どうすれば実現できるかをエフ・コードが真剣に考えてくれた結果でした。
アドバイザー選びについて、小林さんはどう進められたのですか。
創業から3ヶ月の頃には、知り合いのM&A仲介担当者(DawnX株式会社の福住さん)を顧問に迎えていました。面談自体は25社ほど、本格的に検討したのは10社ほどですが、仲介は一貫して彼に専任でお願いしていました。
良い担当者を見つけるコツはありますか。
M&Aは「担当者ゲーム」の側面が強く、同じ会社でも担当者によって実力も得意領域もまったく違います。だからこそ、ホームページから闇雲に問い合わせるのではなく、「自分と似た領域でM&Aを成功させた社長に、担当者を直接紹介してもらう」のがベストです。複数社をやみくもに並行させるより、「この人となら心中してもいい」と思える一人を見つけ、専任で進める。これが何より重要だと考えています。

数億円規模のエグジットを達成され、生活やビジネスにどんな変化がありましたか。
売却前は、会社に利益は出ていても経費には厳しく、個人の口座残高が135円しかない時期もありました。だから口座に億単位のお金が入ったときは、興奮と同時に大きな安心感がありましたね。ただ、得た資金は米国債券や外貨建てMMFなど手堅い投資に回し、生活水準は変えていません。大学1年から付き合っている妻が資産管理を握ってくれているので、金銭感覚が狂わずに済んでいます。
お金以外の面でのメリットはいかがですか。
実は一番大きかったのは、「若くして上場企業に事業を売却した起業家」という“箔”——いわば強力な名刺が手に入ったことです。前述のとおり、僕は就活でエリート街道に乗れず、違う価値で勝つために起業を選びました。M&Aを達成したことで、出会える人の層も、会話のスピードも、ビジネスの単価も劇的に上がり、稼ぐ難易度が一気に下がった。このレバレッジは計り知れません。
M&Aを目指す経営者へアドバイスをお願いします。
AIの進化で、プロダクトやシステムは誰でも短期間でつくれる時代になりました。だからこそ、これから唯一残る強力な武器は「案件獲得能力」だと考えています。自社に興味を持つ見込み顧客を連れてくる「リード獲得」と、それを確実に「クロージング」する力。極論、売るものは何でもいい。この能力さえあれば、ビジネスは成立します。
私自身も現在は2社の代表を後任に譲り、自らの一次体験をもとに、YouTubeチャンネル「全人類1億円M&A計画」やX(旧Twitter)で、M&Aやリード獲得のリアルなノウハウを発信しています。M&AやBtoBマーケティングにおける情報格差をなくすことが、いまの私のテーマです。

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