元17Live社長で現在は仏教の教えに学ぶ小野裕史氏が、資本主義社会で見失いがちな「利他の心」の本質、ドーパミン的欲望との付き合い方、死との向き合い方、そして使命の見つけ方について語った対談を再構成。経営者が陥りがちな数字至上主義からの脱却法を提示する。
M&A CAMPに登場いただいたのは、元17Live社長として知られる小野裕史氏。2ヶ月前にインドのナグプールを訪れた福田氏(M&A CAMP)が、現地で出会った佐々井秀嶺僧侶やアミット氏との交流を通じて感じた「究極の利他の心」について、その本質を小野氏に問うところから対談はスタートした。
小野氏は理系出身らしく、利他の心を脳科学の視点から解き明かす。
「ホモサピエンスの脳にはミラーニューロンという機能があります。誰かが笑っていると自分も幸福感を感じ、イライラしている人の近くにいると自分も不安になる。つまり、誰かに笑顔を向けるという利他的な行為をすると、それを見ている自分自身も勝手に幸福感が湧き起こる。利他という名のラベルを被せていますが、これは自分のためでもあるんです」
佐々井氏のように命を捨てて使命に生きるレベルに到達するのは難しい。だからこそ、「自分の周りの人がハッピーそうだったら自分も心地よい」というぐらいの感覚から始めればいいと小野氏は語る。
資本主義社会、特に東京のようなビジネス中心のコミュニティにいると、売上や利益という「妄想上の数字」を追い求めることが当たり前になる。小野氏はこの構造に警鐘を鳴らす。
「人間社会のほとんどは妄想上のものをみんな欲しがります。売上もそうです。スマホ上で見える数字に過ぎないのに、たくさんあれば安心感がある。これは生き物としての自己保存本能としては正しいのですが、どこまで行っても腹がいっぱいにならないものなんです」
そこで重要になるのが「どういう環境にいるか」だという。ナグプールで出会う人々は当たり前のように周囲のことを考えるが、東京のビジネス界に身を置けば「数字を作った」という話ばかりが目に入り、自分が何もやっていないかのような錯覚に陥る。
対談では「ドーパミン的な幸せ」と「人と人との繋がりから生まれる幸せ」の違いも掘り下げられた。
小野氏によれば、ドーパミン的な欲はホモサピエンスが進化の過程で獲得したもので、これがなければ人類はすぐに絶滅する。否定すべきものではない。問題はその対象が「妄想上のもの」――国境線、権利、チャネル登録者数、売上――に向かうと、終わりがなくなることだ。
「ドーパミンはピークが強い分、降りていくのも早い。一方で人間関係はじわじわ続くもので、波になりにくい。どちらも大事ですが、行き過ぎていないかをメタ認知することが必要です」
しかし、そのメタ認知も難しい。地位や名誉が上がれば上がるほど周囲の声が届かなくなる「裸の王様」状態に陥りがちだという。対抗策はトレーニング――瞑想によって脳の回路が物理的に変化することは科学的にも証明されつつあると小野氏は付け加えた。
以前の小野氏は「人生のKPI」として、自分が行きたい葬式の数や、自分の葬式に来てくれる人の数を掲げていたという。しかし結局、それも100が1000に、1000が1万になっても満足しない構造だと気づいた。
「今は点の目標は持っていません。方向だけを決めています。これまで散々わがままに生きてきたので、少しは人のためになれる方向、と。選択肢が出てきた時に、自分のためになるのか、より人のためになるのかで選んでいます」
この「法学だけ決める」生き方は、企業家がミッション・ビジョンを設計する際にも示唆に富む。数字に囚われた途端、本来のビジョンが見失われていく構造を、小野氏は自身の経営経験から率直に語った。
対談は仏教の世界観にも及んだ。福田氏は「人生は苦である」という仏教の前提を知って心持ちが楽になったと話す。小野氏はこの「苦」を「思う通りにならない」と訳し直す方が原意に近いと補足する。
「仏教は実は残酷な教えです。神なんていないから、お前のことはお前でなんとかしろ、というのが究極のブッダの教えなんです」
死については、インドでアミット氏の父親の葬儀に立ち会い、薪の上で焼かれ、翌日に骨を川へ流す光景を目の当たりにした体験を語る。
「死に触れ合う機会は、人生においてとても大事だと思っています。日本ではなかなか接点がないのですが、インドではよく見る。死は何か特別なイベントではなく、その辺で蝉が鳴いているのと同じ、代謝が止まって雲が蒸発するようなものでしかない、というのが今の僕の感覚です」
死そのものよりも、そこに至るまでの肉体的苦しみが怖いだけで、死の瞬間自体は脳が混濁して自覚もないまま終わっていく。「死にたくない」と妄想上のイベントに囚われて今を見失うことこそが避けるべきことだと小野氏は説く。
福田氏が問うた「使命の見つけ方」に対しても、小野氏は自身の経営者時代の迷いを率直に振り返った。
「人様に喜んでもらえるサービスを提供したい、と思って会社をやる。やがて売上が大きくなれば喜ばれた証拠だ、というロジックに乗る。気がつけば数字さえ出していればいいとなり、数字のために人様が喜ばないことを取りに行ってしまう。これが本来のビジョンを見失うパターンです」
だからこそ、いろいろな価値観に触れ、迷いを経た先に「自分なりの方角」が見えてくる。一本の道だけを歩いていたら、それが正しいかどうかも判断できない。旅、結婚、異業種との接点――自分以外の視点をインストールする経験こそが、揺るがない軸を形作るというのが小野氏の答えだ。
対談の終盤、テレビ局やメディア企業が不動産で安定収益を確保する手法に話が及ぶと、小野氏は仏教的視点から「土地の所有は妄想である」と切り込む。
「『地面師たち』というドラマがありましたが、土地の所有というものは妄想だ、という表現があります。その通りです。国境線も人間が勝手に決めたもので、宇宙人が来たら関係なく攻め込んでくる。共有認識の上にしか成り立っていません」
それを踏まえた上で、小野氏が予感するのはポスト資本主義の時代だ。GDPが上がっても幸福度が上がらない先進国の現実、いわゆる「悟り世代」のような物欲の薄い若い世代の出現。これらは人類が次の段階に入っているサインかもしれないという。
「資本主義5.0でも2.5でもいい。バージョンは変わりつつあります。100年後から見れば、今この時代は『もう資本主義じゃなくなってきていた』と振り返られるかもしれません」
時価総額や登録者数といった数値の競争から、「幸せな起業家・幸せなリーダーが規模感を持って増えていく」社会へ。小野氏は、本来ビジネスは誰かのハッピーを提供して対価を得る仕組みである以上、幸福が沖に広がっていく性質を取り戻すべきだと締めくくった。
小野氏の語りに通底するのは、「腹落ち」と「実感」の重要性である。利他も、ドーパミンとの付き合い方も、死生観も、使命も――すべて頭で理解するだけでは足りず、体験を重ねて染み込ませていくしかない。経営者にとって、この対談は数字の論理から一度距離を置き、自分が本当に何を求めているのかを問い直すきっかけになるはずだ。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです


2025/9/25

2024/9/9

2024/6/21

2024/3/7

2024/1/21

2026/4/25