アドウェイズを20歳で創業し、20年にわたり社長を務めた岡村陽久氏。リーマンショック時の8億円の借金、悪夢にうなされた日々、そして「トラブルが大好物」と語る独自のメンタル術。サウナ事業に込めた想いまで深掘りする。
アドウェイズを20歳で創業し、約20年にわたって社長を務めた岡村陽久氏。現在はオールドルーキーサウナの店長として、サウナ事業に情熱を注いでいる。M&A CAMPの新ラジオ番組初回ゲストとして登場した岡村氏が語ったのは、「地獄の楽しみ方」とも言える独自の経営哲学だった。
長年の盟友である送りバント代表・西保氏(2006年からアドウェイズに在籍)は岡村氏についてこう語る。
「弱音を吐いたところを聞いたことがない。疲れたっていうのも聞いたことがない。人の悪口も1回も聞いたことがない。ちょっと異常です」
しかし岡村氏自身は「メンタルが強いわけではなく、好物が違うだけ」と笑う。
「アドウェイズのCEOであると同時に、CTOも名乗っていたんです。テクニックじゃなくてチーフ・トラブル・オフィサー。僕、トラブルが大好物なんですよ。ものすごい額の補填が起きたり、横領があったり、事業がストップダウンしたりすると、すごく興奮するんです」
順調なときは社長の出番がない。だからトラブルが起きると「とうとう俺の出番が来たか」と燃えるのだという。社内には他社のトラブルがあれば報告してこいという文化まであるらしい。
岡村氏のキャリアは16歳から始まる。家庭用換気扇のフィルター清掃の飛び込み営業を行っていた。
「20歳になる前から、いつかはスーツを着て営業したいと思っていました。法人営業ならスーツが着られると」
そんな折、テレビでサイバーエージェントの藤田晋社長が史上最年少で上場したニュースを目にする。「インターネットはこれから来る」という藤田氏の言葉に衝撃を受けた岡村氏は、サイバーエージェントへの入社を希望するも不採用。そこで自ら株式会社アドウェイズを設立した。20歳のときである。
「インターネットが何なのかも分かっていませんでしたが、藤田社長が言っているなら本当だろうと。僕、テレビと日経新聞を信じてるんです」
アドウェイズは2006年に上場し、藤田氏の最年少上場記録を一時的に塗り替えた。
そんな岡村氏のキャリアで最大の試練となったのが、いわゆる「07ショック」だった。
上場直後、株式を担保に証券会社から約8億円を借り入れた岡村氏。当時の時価総額は2,300億円ほどあり、保有株の5〜10%を担保にするだけで借入が可能だった。資金は事業や知人への貸付などに使われたという。
ところがリーマンショックで時価総額は10億円規模まで暴落。担保割れに陥った。
「証券会社が一斉のショックに対応できず、結果的に売却されずに済んだのは不幸中の幸いでした。ただ、毎日証券会社から『担保を入れろ』と連絡が来て、実家まで担保に入れる事態になりました」
同時期にアドウェイズの業績も急悪化。150名の会社で150名の新卒を採用するという無茶もたたり、社員の離脱と販管費の増加で大赤字に陥る。
「悪夢を毎日見ていました。落ちていく夢を見て、はっと目を開けてもまだ落ちている途中で、また目を開けてもまだ落ちていて。30分間ずっとうわぁって落ちている夢。実際にも株価がストップ安、優秀な社員が辞める、そんなニュースばかり。寝ても起きても地獄でした」
当時27歳。ピークは約1年間続いたという。
この危機を救ったのが、通称「グリーバブル」だった。当時、モバゲータウン(DeNA)の隆盛でアドウェイズの主力サービス「ポケットアフィリエイト」のシェアは奪われていた。しかしGREEが急成長を遂げ、その案件流入でアドウェイズの業績は劇的に回復する。
「最初の1年間ぐらいは借金取りに対していろんなハッタリをかましてしのいでいました。だんだんハッタリが効かなくなってきた頃に、ラッキーパンチで業績が一気に回復したんです」
苦境のさなかでも、岡村氏は社員のケアを怠らなかった。新卒1年目でメンタルを壊した社員「高橋君」(仮名)の元へ西保氏と一緒に出向き、家に上がり込んで会社復帰を説得。最終的にキャバクラに連れ出すことで突破口を開き、自宅に住まわせて復帰させたという「高橋キャバクラ事件」は、いまも語り草だ。
上場後にもかかわらず、岡村氏は風呂なしの四畳半アパートに社員と二人暮らしをしていた時期もある。「お金があるなら全部返しますからと、四畳半に住まわされていた」と振り返る。
アドウェイズ社長時代、岡村氏は営業の数字管理に極めて厳しかった。
「ある経営者の方から『人は夢か恐怖でしか動かない』と教わりました。僕は恐怖寄りで、『達成しなかったら本当に傷つくぞ』と恐怖を与えてマネジメントしていました」
ただし、ご飯を一緒に食べる距離感のなかでの切り替えだったため成立した手法であり、「今の時代にはあまり推奨できない」と語る。それでも当時のメンバーは強く育ち、「07ショック」の前後で入社した社員のなかから現在の大社長などが生まれている。
社員のために、給料日前にカップラーメン生活になっている若手向けに「岡村屋」という炊き出しを社内で実施したエピソードも印象深い。
社長を退任しオールドルーキーサウナの店長業に専念する岡村氏は、20年やってきて気づいたことがあるという。
「アドウェイズで本当に楽しいのって、事業責任者とか子会社の社長なんです。社長業は自分じゃなかったなと、20年経ってようやく気づきました」
オールドルーキーサウナは都内に4店舗を展開。コンセプトは「アチアチキンキンガラガラ」。銀座店は熱波と轟音のジェットで「ユーザーのことを全く考えていない」とまで評されるアーティスティックな設計だ。一方で、千葉・木更津にオープンしたオールドルーキーサウナホテルは、家族連れや女子会・男子会まで取り込めるマイルドな設計になっている。
「ホテルもサウナも、初期投資の回収はもう諦めています。最初に出したキャッシュは忘れて、毎月のキャッシュフローで黒字を目指す。8月はホテル単体で黒字化した可能性が高いです」
外装には2億円かかる予定だったが全てカットし、内装に振り切ったという。
「オールドルーキー」という店名は、シンガーソングライター竹原ピストル氏の楽曲『オールドルーキー』の歌詞から取られている。
「『走り続けるんじゃなくて、走り始め続けるんだ』という歌詞があるんです。勝ち続けないと終わりだと思っている人が世の中にとても多い。でも止まってもいいし、休憩してもいい。元気が出てきたらもう1回走り始めればいい。そういう世界観をサウナで表現したかった」
オールドルーキーサウナでは、うつ病から復帰途中のスタッフを積極的に採用している。サウナの仕事は自分のペースでこなせ、来られなかったとしても大きな迷惑にならない。掃除中にお客から直接「ありがとう」と感謝される。社会復帰のステップとしてちょうど良い仕事なのだという。
また、中卒・高卒の若者にITやビジネスを教えるNPO「ハッシャダイソーシャル」と連携し、若手育成にも取り組む。サイバーエージェントへの入社を実現した若者もいるという。
西保氏が2度目の結婚で離婚することになった際、岡村氏は西保氏を自宅に呼び、「半年は暮らせるから考えてくれ」と現金150万円を渡したという。最終的には別居資金として、役員陣から10万〜30万円ずつ集めた「N資金」(西保のN)が用意された。社員が困ったときにも発動される、アドウェイズ特有のセーフティネットだ。
「アドウェイズで働かなくてもいい会社からですからね、本来は」と岡村氏は笑う。送りバントを副業のように立ち上げる西保氏のような自由な働き方が許されること自体が、結果的にアドウェイズの強力なPRになっているという。
「会社の自由度や個性大事の文化って、ホームページや面接ではみんな同じこと言うから新卒には見分けがつかない。でも『送りバントというグループ会社があるんです』と言うだけで、なんだこりゃ、と。これが許される会社なんだと象徴的に伝わるんです」
地獄のような借金生活、悪夢、株価暴落、社員の離脱──。岡村氏のキャリアは、表面的にはトラブルの連続だ。それでも本人は「興奮する」「対応物だ」と語り、苦境を楽しむかのように20年間を駆け抜けてきた。
社長は自分の天職ではなかったと気づいた今、サウナ事業のオーナー兼店長として、自分らしい形で「走り始め続ける」場を作り続けている。回収できないと分かっていても、こだわりを貫く。それでも黒字化が見えてくる。
勝ち続けなくていい。止まってもいい。元気が出たらまた走り始めればいい──岡村氏の言葉と歩みは、戦い続けるすべての経営者にそう語りかけている。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです


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