幼少期の貧困から成り上がり、ウェディング事業で大成功を収めた後、49歳で会社を売却した経営者夫婦。鎌倉でスローライフを送る「たろたんパパママ」が、夫婦経営の哲学、M&A後のリアルな生活、そして本当の幸せについて赤裸々に語る。
鎌倉在住59歳のパパと55歳のママ。息子たちのTikTokをきっかけに家族でSNS発信を始め、現在はYouTubeチャンネル「鎌倉スローライフ」で登録者10万人以上を抱える夫婦。49歳で会社を売却し、現在はリタイア生活を送っている。
しかし、その人生のスタートは決して平坦ではなかった。
「家庭環境がよろしくなくて、小学校3年の時から『俺は将来1人で生きていかなければいけない』という悟りを開くぐらい貧乏だったし、愛情にも飢えていた」とパパは振り返る。両親は小学校3年で離婚。孤独感の中で過ごした少年期、人生で初めて読んだ本が『豊臣秀吉』だった。
「周りに気を使い、人のために一生懸命やって出世した方じゃないですか。そのまま真似した感じです」
人生で読み切った本は2冊だけ。豊臣秀吉の伝記と『覚悟の磨き方』。ロールモデルを定め、ひたすらその思想を真似る——それがパパのスタイルだった。
一方、宮城県古川出身のママは、3人兄弟の末っ子として農家でのびのびと育った。「普通に幸せ」な家庭環境で、田んぼや畑の手伝いをして過ごす日々。二人の幼少期は、まさに対照的だった。
中学までは野球一筋だったパパは、高校で「デビュー」する。ガソリンスタンドや百貨店屋上のアルバイトで月5〜6万円を稼ぎ、その全てをディスコにつぎ込んだ。
「1週間あったら6日はディスコ。夜中23時に帰って、近くの24時間営業のミスドで朝まで時間をつぶす。授業中に寝る」
喧嘩のリーダー格でもあった高校時代、パパは「男の強さに女性は惹かれる」「いざとなったら俺が責任を取る、それで人はついてくる」というリーダーシップの原型を学んだ。
高校卒業後はすぐに上京。しかし東京での6年間のフリーター生活は、結果として大きな挫折となる。
「もうこれ東京ダメだと。俺はダメなやつだと。1000万も1500万人もいる首都圏で、宝くじに当たるようなことを待っててもしょうがない」
仙台に戻ったパパは広告会社に就職。ここで才能が開花する。26歳で岩手の博覧会総合開会式のプロデューサーを務め、27歳である一部上場企業の100周年記念事業を全て仕切るまでになった。
そんな多忙な日々の中、ファッションショーのモデルとして来ていたママと出会う。パパ25歳、ママ20歳の時だった。
「彼女がリハーサルをやっている時に、偉そうに『どう思う』なんて見に行った時、思いました。30、40、50、60になっておばあちゃんになって、全部の姿形が想像できた。それが全て素敵だった。この人だ、と」
パパが人生で告白した女性は、ママただ一人。「ゆみちゃんのことが好きなんだよね」と車の中で告げた言葉から、35年続く夫婦関係が始まった。
付き合って1ヶ月で同棲。その1ヶ月後にはママの実家に挨拶に行き、結婚を前提と告げていた。「私とはそんな話したことないですよ」とママは笑うが、パパの「絶対この人だ」という確信は揺るがなかった。
広告代理店を辞め、27歳で起業。資本金もほとんどない中、365日仕事漬けの日々が始まる。「初週のうち3日4日徹夜」「最長で4日連続徹夜」という働きぶりだった。
ママもモデルの仕事を辞め、夫の会社をマネージャーとして支えた。事務所からの電話を受けて、二人三脚の経営がスタートする。
企画コンペでは赤字覚悟で実績を取りに行き、名前を売っていった。「目先の利益を追ったらダメ」というのがパパの哲学だ。
会社が軌道に乗ったある時、パパは大胆な決断を下す。それまで主軸だった数億円の売上があるイベント・広告事業を、一晩でやめたのだ。
「もうこの時代じゃないんだと。ウェディングなんだと。電通さんに電話して『もう受けられません』って」
「2兎を追ったら12時間12時間。1番にはなれない。だから捨てるものは捨てる」
ウェディング事業に全リソースを集中投下した結果、10年で会社は10倍規模に成長した。
パパが何度も繰り返し強調するのが、ママへの感謝と「夫婦の関係性」の重要性だ。
「仕事を夢中で、ママを守るためにやっていた。ストレートに言ったら、家族を守るためだよ、お前を幸せにするためだよ、ということ」
ママもまた、創業期の苦しい時代を笑顔で支え続けた。
「この人が頑張ったのは、笑顔を頑張ってきたわけ。影では泣きながら、僕の前でご機嫌でいることを頑張ってくれた。それは僕は知っているから」
二人の優先順位は明確だった。子供よりもまず夫。ママは「会社も主人次第。社員の方を守るためにも主人がまず最初」と語る。
「今、世の中では子供が先に来て、次がペット、最後がパパ。あれじゃ旦那はやる気にならないし、出世もしない」とパパは警鐘を鳴らす。
経営者夫婦に必要なのは、徹底した話し合いだという。「特に経営者の家庭は話し合った方がいい。普通の家庭じゃないんだから」
会社規模が100人に達した時も、パパは社員一人ひとりと毎日メールでやり取りしていた。日報は社長宛て直送。
「社員にしてみれば社長と繋がっている。これが大切。あとは、社長が見てくれているという緊張感」
パパの経営哲学はシンプルだ。「会社は100%社長で決まる。バカな社長だと思ったら、その会社をやめた方がいい」
社員には「今は戦争だ。5年間戦争だ、みんな耐えてくれ」とオープンに伝え、その代わり相応の報酬を約束した。「明るい独裁」「いい意味でのワンマン」が、急成長を支えた。
「ジョギングもいいけど、たまにはテラスに出てのんびり朝コーヒーを飲んでもいいんじゃない。延々と走り続けるなんて、僕の中にはない」
49歳で会社を売却。社員には若い頃から「ある一定の年齢に行ったら俺は楽するぞ」と公言していた。
M&Aの交渉はわずか4ヶ月。最終金額は想定を上回り、株式の2割を持っていたママにも相応の対価が入った。
売却後の2年間は「バカみたいに2〜3億円使った」という。メニューを見ずに一番高いものを注文する、東京で買った服がダンボール4箱で届く——典型的な「成り金」生活も経験した。
しかし、本当の幸せはそこにはなかった。
「世の中の社長たちは、会社を作って社長になって、いい給料をもらってゴルフ行ってキャバクラ行って、それが幸せだと思ってる。違う、違う。その上があるんですよ。雲を突き抜けるとこういう生活——ストレスがなくて、不安もなくて、その日暮らしで最高ですよ」
パパが語る引退ラインの目安は、40〜50代なら「手取り10億円程度」。
「20%税金で持っていかれて5億だとしても、一般のサラリーマンの退職金と比べたら何倍ですよ。それで普通に生活してるわけでしょ」
なお、資産運用は「一通りやって失敗した」という経験から、現金保有を勧める。「証券会社は嘘つきばかり。1番強いのはキャッシュ」と断言する。
現在の二人の生活は驚くほどシンプルだ。
朝5時半起き。車で鎌倉の名所まで行き、1時間散歩する。帰宅後はお茶を1時間飲みながらおしゃべり。掃除、ランチ、仮眠、そして夜10時には手をつないで眠る。
「24時間365日、ずっと一緒。今、1番恋してますよ。こんなに手をつなぐ時期はなかったし、こんなにハグする時期も付き合った頃よりも圧倒的に多い」
昨年はパパが脳梗塞で倒れるという出来事もあったが、無事に回復。「明日が来ない可能性があるからこそ、今やる」という価値観がさらに強くなった。
インタビューの最後、パパは時代を超えて変わらない真理についてこう語った。
「お互いがお互いへの配慮と思いやり、それしかない。僕は愛しくてしょうがない。涙まで出るぐらい愛しい。苦労をかけてきた分も含めて」
会社を大きくすることだけが成功ではない。むしろ、ある一定のラインを超えたら「降りる勇気」を持ち、最も身近な人との時間を大切にすること——それこそが、49歳で引退し10年が経過した経営者夫婦が辿り着いた「本当の幸せ」の形だった。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです
