防衛大学校を3ヶ月で退学し、ガイアックスで営業部長から上場、AppBank創業、MBO、横領事件による炎上、そしてどら焼き屋「うさぎや」での再起業まで。マックスむらいこと村井智建氏が語る、20年以上にわたる起伏に富んだ経営人生と、若手経営者へのメッセージ。
石川県奥能登の牧場で4人兄弟の長男として生まれた村井智建氏。父親の方針で2歳から公文式を始め、小学校2年生の時には全国規模の計算コンテストで石川県2位、全国67位という成績を残した。3桁×3桁の掛け算を暗算で解く感覚は、後に振り返っても「人生で2回しか経験していないゾーン状態」だったという。
しかしそのピークを境に、村井氏は突如として公文をやめてしまう。「もうやめたい」と反抗したのだ。以降は穴水町の牧場で500頭の牛、犬、勝手に住み着いた猫50匹に囲まれて育った。
七尾高校時代は合唱部に没頭。世界中の合唱曲のCDを買い集め、地方と東京の情報格差に強い不満を抱いた村井氏は「東京かニューヨークに行きたい」と考えるようになる。東京大学を受験するも不合格、勧誘されていた防衛大学校に入学した。
しかし入学初日、横須賀の全寮制という現実に「思っていた東京と違う」と感じる。生活自体は楽しかったものの、自分の想像していた大学生活とのギャップに悩み、3ヶ月で退学を決断した。
親と横浜駅前のスターバックスで決別し、渋谷へ。本屋で見つけた『ITベンチャーのすべて』という本で50社が紹介される中、唯一「学歴不問」と書かれていたガイアックスを訪問する。電話アポイントメントの概念すら知らず、自己紹介をノートに手書きして持参。ビルの前で迷っていたところを別のインターン候補と間違えられて中に通され、たまたま予定の空いていた営業部長と1時間話しただけで採用が決まった。
インターン時代の月給は5万円。銭湯代やコインランドリー代でほとんど消える生活で、村井氏は寝袋を持ち込んで会社に2年間住み込んだ。食費を捻出するため、先輩を「お腹空きましたね」と誘導して奢ってもらう日々。土日には「お腹空きました、出勤しないんですか?」と電話までかけたという。
営業最初の1年半は契約が一件も取れず、議事録担当に左遷される。しかし全チームの議事録を取り続けたことでプロジェクト全容を把握しているのが村井氏だけになり、新人教育を任される過程でスキルが一気に伸びた。その後営業に復帰すると数億円規模の案件を次々に決めるようになる。
その間、村井氏はガイアックスを3回辞めて3回戻っている。「アメリカに行きたい」と退職し、1ヶ月後に「気分転換したから」と戻る。それでも会社は受け入れ続けた。
22歳で営業部長、23歳で執行役員。ガイアックス上場時の売上の半分は村井氏が担っていたという。上場後の二度の業績下方修正で疲弊した村井氏が「辞める」と告げると、上田祐司社長は給料を維持したまま100%子会社の社長ポジションを用意した。「席を置いておくだけでいい」という条件である。
こうして2006年2月、村井氏はGTエージェンシーの社長に就任する。占いコンテンツのライセンス事業「ブッチャケポチン」を月額3万円で展開し、営業マン2人で1年半に450社へ販売。連結決算をしていなかったため、子会社単体で1億円超の利益が出て4000〜5000万円の税金が発生する事態となった。
村井氏が「税金分を給料として払え」と交渉すると、上田社長は「来年度、新規事業に4000万円自由に使っていい」というカウンターを出した。これが後のAppBankの原資となる。
2008年、iPhone 3Gの発売を受けて村井氏はブログメディア「AppBank」を立ち上げる。社員2人体制で、村井氏自身が「エントリーポストマン」のペンネームで1日5本の記事を執筆した。
4000万円の予算を使い切るつもりで始めたが、わずか8ヶ月で黒字化。スティーブ・ジョブズがWWDCで発表する開発者還元額のうち、AppBank経由のアフィリエイトが日本市場の20〜25%を占めた時期もあったという。
テレビ朝日「お願い!ランキング」やTBS「革命×テレビ」のレギュラー出演を経て、AppBankはApple本社からも招待を受けるほどの存在となる。広告は一切入れず、有料アプリのアフィリエイトのみで収益を構築するスタイルだった。
2012年1月、村井氏はAppBankをMBO(マネジメント・バイアウト)で独立させる。これは社内初の大型スピンアウトであり、村井氏自身が「ガイアックスが企業家輩出企業になったのは自分のせい」と語る象徴的な出来事だった。
上田社長との交渉は2〜3週間に及び、机を叩いて泣くほど揉めた。最終的な条件は「上場すること」「資金調達を決めること」。具体的には1ヶ月以内に時価総額20億円・調達額2億円のファイナンスを成立させることが課された。村井氏は3日後にジャフコ(担当者は現在のAppBank社長)を連れてきて即決させ、村井氏・共同創業の宮下氏・ガイアックスで株式を3分の1ずつ分け合う形でMBOを実現した。
2012年2月、ガンホー山本大介プロデューサーが鎌倉のオフィスを訪れ「パズル&ドラゴンズ」を持ち込んだ。当時グリーやモバゲーのカードゲームがApp Storeを席巻し、村井氏が「もうAppBankを辞めようか」と考えていたタイミングである。
スマートフォン専用に作られたパズドラに「これだ」と確信した村井氏は、勝手に「パズドラを売上1位にする」をミッションとし、ゲーム攻略記事を量産。2012年5月か6月、パズドラが月間1位を獲得した瞬間にAppBankの命運も決まった。
生放送の流れで「マックスむらい」という名前が誕生。社内で皮肉混じりに呼ばれていた「フルスペック村井」(常に最新Macを最高スペックで購入していたため)から派生した名前である。2014年2月のニコニコ生放送「降臨10本勝負」では5時間で22万人を動員。同年、YouTubeのCM「好きなことで、生きていく」第1弾にHIKAKINと並んで起用された。
2015年、AppBankは東証マザーズに上場。しかしその翌年、約2億円の社内横領事件が発生し、トップニュースで連日報じられる事態となる。報道陣が正面玄関に並び、村井氏は1ヶ月間ビルの裏導線から出社する日々が続いた。
弁護士の助言で事件について公に語れない中、コメント欄には「黒幕はお前だろう」「気付かないわけがない」というアンチコメントが殺到。動画を公開すれば即座に低評価が4万5000件付き、再生数より低評価が10倍多い状態が3年間続いた。
「人生で初めて自滅期に入った。睡眠時間2時間で土日休みもない生活から一転、飲まないと寝られなくなり、約2年間毎日飲んでいた」と村井氏は振り返る。SNS上では「一度休め」という意見が圧倒的だったが、相談した10人の経営者の先輩は全員「ゲロ吐いてでも続けろ」と口を揃えた。
先輩たちの論理はこうだ。一度大きな振れ幅を作った人間だけが、もう一度それを超える振れ幅を再現できる。底辺で辛くても辞めればゼロになり、二度と社会復帰できない。今の谷を笑顔で続けることが、次の山を作る唯一の条件だと。
「マックスむらいを続けている限り、過去のレコードを超えるチャンスは残る。辞めた瞬間に終わる」。この助言があったからこそ、村井氏は今もマックスむらいとしての活動を続けている。実際、HIKAKINとのコラボ企画「AppBankの闇を暴く」をきっかけに動画への評価は反転。チームでドッキリ系コンテンツに振り切ることで、再びファンを獲得していった。
上場から10年、時価総額40億円という上場維持基準に届かない中、村井氏は2025年3月に社員を退任。AppBank株90万株を分割売却しながら活動資金を繋いでいる。
現在注力しているのは、原宿竹下通りで2021年に立ち上げたどら焼き専門店「うさぎや」。意外にもホームページにマックスむらいの名前も写真も一切掲載していない。
「インフルエンサーが立ち上げるアパレルや飲食店は5〜10年は持っても、20年後・100年後に残るかは誰にもわからない。私自身がマックスむらいだったからこそ、無理だと思っている」と村井氏は語る。むしろ商品単体で評価される、日本の伝統文化に根ざした事業を志向した。
うさぎやは創業5年目を迎え、近く単月黒字化の見込み。店舗運営に加えてIPコラボ専属チームを抱える独特の構造を持つ。2025年冬にはロサンゼルス1号店、続いてニューヨーク2号店を計画。日本法人とのライセンス契約により海外展開する仕組みで、村井氏が独自に書き上げた事業計画書のロードマップ通りに進行しているという。
村井氏はどら焼きを単なる和菓子ではなく「キャンバス」と捉えている。日本のIPと組み合わせることで、メディアとして、プラットフォームとして展開可能だという発想だ。AppBank時代に培ったメディア企業としての経験が、ここで活きている。
アクセル全開で短期成果を追ったAppBank時代と比較し、現在のうさぎやでは「ペースを3分の1に落としている」。自己資本中心で、持続可能な会社をいかに作るかに注力する。「赤字の間は静かめに、3ヶ月連続黒字になればもっと大胆なことを始める」と語った。
村井氏は最後に、若手経営者へのメッセージとして「楽しく仕事と向き合えるか」を強調した。投資ブームや起業ブームの中で、難しいビジョンを語る経営者が増えている。しかし市場の変化は必ず訪れ、経営者は3〜5年スパンで事業を切り替えるか、価値があるうちにバイアウトするかを迫られる。
「他人より成績がいいとか悪いとかで事業を選ぶ若手が多いが、楽しいと思えることを選ばないと持続可能な会社になっても続かない」。神童と呼ばれた少年が、防衛大退学後にオフィスに住み込んで以来、ずっと「マックスな状態」を保ち続けてきた本人ならではの言葉だった。
村井氏の経営者としての真価が問われるのは10年後、15年後。43歳の現在地から、うさぎやがヤクルトのような100年企業になれるかどうか、その挑戦は続いている。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです
