DMM.com会長・亀山敬司氏と、ベンチャー向けマネジメント研修会社EVeMの長村禎庸氏が対談。「研修は意味がない」と言われがちなマネジメントの世界で、なぜ言語化と技術が組織を伸ばすのか。組織の壁、共通言語、評価、楽しさまでを深掘りした。
DMM.com会長・亀山敬司氏は、これまで3,000人規模の組織をつくり上げてきた経営者である。一方の長村禎庸氏は、リクルート、DeNA、ハウテレビジョンを経て、ベンチャー・スタートアップに特化したマネジメント研修会社EVeMを創業した人物だ。「マネジメント研修なんて意味がない」と語ってきた亀山氏が、なぜ長村氏の研修を自社に導入したのか。本記事では、二人の対話から「人を束ねる方法」の本質を読み解いていく。
冒頭、亀山氏は率直にこう切り出した。「俺も基本的にコンサルやマネジメント教育はいらねえみたいな、そういうタイプ」。それでも長村氏のEVeMによる研修を導入したのは、自身の社員数が増える中で「背中を見て育て」では伝わらない場面が増えてきたからだという。
実際に研修に出てみた亀山氏は、こう語る。「基礎的なことから始まって当たり前のことっちゃ当たり前なんだけど、確かにこれ、言ってないと分からないなというのはある」。自分にとっては当然と思える考え方を、改めて言葉にして伝える――その作業の重要性を、亀山氏は研修を通じて再認識したという。
長村氏自身も、ハウテレビジョン(外資就活ドットコム運営)の取締役COO時代に、「毎年社員の半分が辞める」という組織崩壊の現場を経験している。サービスは良くてもマネジメントが欠けていれば会社は伸びない。その実体験が、現在のEVeMの事業につながっている。
長村氏のマネジメント観で印象的だったのは、「マネジメントは流派ではなく業務だ」という主張である。
世の中には識学のような競争重視の思想もあれば、リンクアンドモチベーションのようなウェルビーイング志向もある。しかし長村氏は「何が正解かではなく、基礎的な業務としてのマネジメントがあるはずだ」と語る。
例えば評価の場面。半期ごとに成果だけで評価するのか、能力やバリュー(行動指針)まで含めて評価するのかで、日々マネージャーがやるべき行動は変わる。能力やバリューまで評価するのであれば、メンバーの行動を普段から事実として記録し、メモしておく必要がある。半期末には「この事実とこの事実によってこの能力が良かった」「この事実によってバリューは体現できなかった」と文章で返す。これは流派でもセンスでもなく、ただの業務だ――というわけだ。
「業務なのに、ここに流派とかセンスとか経験とかがいっぱい入ってくると、その人にしかできない業務になってしまう。それはおかしい」。長村氏は、誰もが習得できるレベルまでマネジメントを言語化・可視化することを自社のミッションとして掲げている。
スタートアップ界隈ではよく語られる「組織の壁」。しかし亀山氏は、「30人の壁、50人の壁」という言葉自体になじみがないという。
長村氏は組織の壁の正体をこう整理する。「部署を仕切れるマネージャーがいるかいないか。仮にマネージャーがいたとしても、経営者とマネージャーが同じ言語、同じ価値観、共通のフレームで語れるかどうか。この2つだ」。
つまり、組織が壊れるのは人数の問題ではなく、共通言語の欠如によるという見立てだ。
ここで重要なのが「共通言語の粒度」である。例えばドラッカーの「人間を生産的にすることがマネジメントの仕事だ」という抽象度では、現場ではほぼ役に立たない。むしろ「権限設計表」のような具体ツールこそが共通言語になる。「この仕事を任せるとき、相手は何を決められるのか」を可視化する――そこまで落とし込んで初めて、マネージャー同士の連携が成り立つというわけだ。
亀山氏もまた、組織が拡大する中で「自分の言葉が伝わらない」現象に直面してきた。
「俺ぐらいから(社員に)ブログを始めたんだよ。50歳超えてからだね」。社員数が増えるにつれて、トップの考えが「またぎきのまたぎき」になり、現場に届くころには別の話に変わっている。「会長の命令でこの壁の色はこうなりました」と聞いて「俺、そんなこと言ってないけどな」となるような事態が、伝言ゲームのように起こる。
そこで亀山氏は社内ブログを通じて、自分が何を考えているか、どんな考え方で仕事をしているかを直接発信し始めた。「忖度しすぎるな」「両論どんどん話せ」など、その時々の考え方を文章として残す。長村氏はこれを「針」と表現する。「亀山さんが何を考えているかが分かると、その針に沿って自分が次にやるべきアクションのアイデアが浮かぶ」。
いわゆる「指示待ち人間」の正体も、ここに通じる。トップや事業部長が方向性を発信していなければ、メンバーは何をすべきか思いつかない。指示待ちはメンバーの問題ではなく、ヘッドの問題である場合が多い、というわけだ。
業務としてのマネジメントには、具体的な技術がある。長村氏が挙げたのが「80点で任せる」という考え方だ。
自分が120点でできる仕事を、80点しか出せない部下に任せようとすると、40点の差分が気になって任せられない――そうなりがちだが、それは比較対象を間違えている。「自分との比較ではなく、合格点との比較で見るべきだ。任せる仕事の合格点が80点なら、80点で任せればいい」。
これは権限委譲の場面における立派な「技術」であり、属人的なセンスではない。長村氏は、こうした技術が「ベーシックなスタンス」――マネージャーは聖人ではないがメンバーを兵にしてはいけない、メンバーは腹落ちした指示には誠実に応えるべき、といった姿勢――の上に乗ることで、初めて機能すると説く。
亀山氏は店舗時代、「相手に答えを言わずに『どっちがいいと思う?』と問い返す」スタイルを取っていた。何度かやり取りするうちに部下の判断軸が育ってきたら、「あとは任せたから聞かなくていいよ」と権限を渡す。これも経験から編み出された技術だが、研修ではこうした暗黙知をフォーマット化し、誰もが学べる形にしている。
意外なエピソードとして語られたのが、亀山氏のキャラクターの変遷である。
レンタルビデオ店を運営していた実店舗時代、亀山氏は今のフラットな印象とは異なり「結構怖い系」だったという。「みんな店を開けないとか商品を盗むとかが多かったから、説教ばっかりしていた」。スーツを着て、ヤンキー気質の若いスタッフに「なめられちゃいけない」というスタンスで臨んでいた。
しかし時代と人材が変わり、今は「みんな怖がっていて失敗も恐れているから、勇気づけないといけない」とスタイルを切り替えた。マネジメントは相手と環境に応じて変わる――現場で生き残ってきた経営者ならではの実感である。
亀山氏はかつて「マネジメントができれば稼げるようになる」と語っていたという。改めて聞くと、その論理はシンプルだ。
「マネージャーはチームをまとめる仕事。まとめた人間たちの生産性を10%でも上げられれば、その分の利益は給料として払える。多くの人数に対して、強い影響を与えるほど、自分の収入は上がる」。自分一人の労働には限界があるが、部下=分母が増えれば、影響範囲は何百億・何千億規模にまでスケールしうる。
もっとも、これは「使う筋肉」というより「マインド」の話だと長村氏は補足する。職人気質で「自分でやった方が早い」と感じてしまうタイプは、能力が高くても部下を持てない。「誰かのために時間を作ること自体が嫌だ」というメンタリティだと、技術以前にマネージャーには向かないという。
「マネージャーになりたくない」「中間管理職は地獄だ」――そう語る若者は少なくない。長村氏はこの問題にこう応える。
「みんなが稼げて、ここにいたら自分は良くなれると思える組織を作ることがマネジメント。その結果、みんなで大きなことが作れて、それを見てみんなが喜んでいる。そのシーンを指揮者として味わえるのがマネジメントの仕事だ」。
板挟みで苦しいという話はよく聞くが、それは多くの場合、言語化されたマネジメントの技術がないために処理しきれていないだけだという。「マネジメントが面白くないと言う前に、それが何をする仕事なのかを技術として学んでからでも遅くない」。
亀山氏も同調する。「マネージャーは出世コースだから金のために、ではなく、性格で選んだ方がいい。面倒見のいいやつ、こいつらを育てたいと思うやつがマネージャーになればいい。能力が高くても『なぜあいつらの相談ばかりやらなきゃいけないのか』と思うタイプは、プレイヤーでいた方がいい」。
よく言われる「人が増えれば社長の器も大きくなる」という話。長村氏は、これを「いろんな価値観に触れる経験の蓄積」として捉える。
3人なら「なぜ言うことを聞かないんだ」で済んでいた思考が、人数が増えるにつれ「自分の言葉が伝わらないのには、こういう可能性もある」「こういうタイプもあるよな」と多様な人間理解を許容するようになる。受け止められる人の幅が広がること、それが「器が大きくなる」の実態だという。
一方の亀山氏はあっさりとこう返す。「器なんか大きくならないよ。器が大きくなったら人が入ってくる、というけれど、逆だよね」。
そしてこう続けた。「ビジネスモデルが良すぎて人格を気にされないパターンもある。クリエイターやアーティストは、人格的に難があっても才能で人が集まる。あの人たちは器が大きいから人が来るわけじゃない」。マネジメントの王道とは別に、「才能」で人を引き寄せるルートもあるという、現実的で身も蓋もない指摘である。
最後に、マネージャーに任命する人材をどう見極めるかという問いが投げかけられた。
亀山氏の答えは経験主義的だ。「やらせてみて収まらなかった、というのは意外とある。実践あるのみ」。器のような曖昧なものを事前に言語化するのは難しい、という考え方だ。
長村氏はもう一歩踏み込み、判定軸を2つ示した。
1つ目は「チーム目的思考」。チームの達成が自分のことのように嬉しいと思えるタイプかどうか。「自分のやりたいことだけやれればいい」という人は、そもそもマネージャーには迎えづらい。
2つ目は「自己評価軸」。他人の評価がないと動けないタイプではなく、自分で自分の課題をはっきりさせられる人。この2つが揃っていれば、まずはチャレンジさせてみていい――というのが長村氏の見立てだ。
対談を通じて見えてきたのは、マネジメントが「技術」と「人間力」の両輪で成り立つということだ。
長村氏が語る権限設計表、評価フォーマット、目標設定の進め方は、誰もが習得できる「業務としてのマネジメント」である。一方で亀山氏のスタイルからは、相手を見て放置するか勇気づけるかを判断する「人間力」がにじむ。「好きだけど下手な先生もいる」と亀山氏が言うように、人間力だけでは届かない部分を技術が補い、技術だけでは温度感を欠く部分を人間力が埋める。
マネジメント研修は、決して即効薬ではない。しかし「自分にしかできない業務」になりがちなマネジメントを、組織として再現可能にしていく――その営みこそが、人を束ね、事業を伸ばす土台になる。研修に懐疑的だった亀山氏が「やっぱり言葉にしてくれると、みんな『なるほど』と聞いている」と語った一言に、その本質が凝縮されている。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです
