伊藤忠商事からサイバーエージェントに転じ、子会社社長を経て独立。個人TOBで上場企業サイト(旧サイトホールディングス)を買収した西條晋一氏が、後出しじゃんけん戦略、PMFの本質、経営チームの作り方、そして今後のM&Aブームについて語った。
西條晋一氏のキャリアは、新卒で入社した伊藤忠商事から始まる。元々プログラミング経験があり「コンピューターを使った仕事で起業したい」という志向を持っていたが、自己PRで公認会計士の勉強や工学部での簿記の勉強をアピールしすぎた結果、配属されたのは財務部だった。
当時の総合商社は部門別採用がなく「属ガチャ」状態。最初に配属された部署で基本的にキャリアが決まる仕組みだった。財務部で2年勤めた後、稼げる部門である金融部門のカセブに異動し、FXのディーラーとして2年間を過ごす。これが後にサイバーエージェントでFX事業を立ち上げる伏線となった。
起業を志した西條氏は、当時の雑誌『タイプ』の吊り革広告で見つけた就職説明会に参加。最初に紹介されたのがサイバーエージェントだった。2000年3月、社員数およそ40名、社員番号64番として入社する。設立からちょうど2年が経過したタイミングだった。
西條氏がサイバーエージェントを選んだ決め手は、当時の社内資料にあった「時価総額10兆円」と「子会社をたくさん作る」という方針だった。「従業員数よりも作ろうとしている会社の方が多いわけなので、これは絶対に子会社社長になれる」と判断したという。
入社時から新規事業や経営の力をつけたい意向を強くアピール。マネジメント経験はなかったが、最初に任されたのは、当時エンジニアがいなかったサイバーエージェントとオンザエッジ、そしてGMOが資本参加する形でスタートした子会社だった。藤田晋氏ら経営者の近くで、考え方の違いを吸収しながら経営を学んだ時期だったと振り返る。
20代の西條氏は、自分からアイデアを発するよりも、会社から降りてきたミッションや、赤字事業など「みんなが嫌がる仕事」を引き受けるスタイルで成果を積み上げた。30代に入って初めて、自分のアイデアで新規事業を立ち上げる段階に進む。
そのなかで意識したのは「子会社の人員は子会社で採用する」というルールだった。親会社のブランドや人材、資金に甘えず、本格的な起業に向けた練習として運営する。株主のお金を預かっているという意識も強く持っていたという。
FX事業は最終的に約210億円でYahoo!へ売却(その後GMOへ再売却)。サイバーエージェントにとって金融事業はノンコアだったため、西條氏自身が動いたディールだった。
西條氏がサイバーエージェント時代に学んだ最大の戦略は、後発参入を恐れないことだった。
アメブロはブログサービスとしては最後発に近いタイミングでの参入。ソーシャルゲームも参入時には先行プレイヤーが揃っていた。FX事業に至っては、参入時点で100社以上の事業者が存在していたが、最終的に営業利益で業界1位を取る瞬間もあった。
「後出し案件のいいところは、KPIがすでに分かっていること」と西條氏は語る。世の中で成立しているビジネスがあるなら、近いやり方を実行力で上回れば必ず成り立つはず。想像で勝負するのではなく、フットワーク軽く数字を聞きに行き、調べることを推奨する。ビジネス経験のある起業家にとっては、リスクを抑えながら勝負できるテーマだという。
投資家として事業計画書を見るとき、西條氏が最も重視するのは「数字にリアリティを持ったイメージが入っているか」だ。
「広告宣伝費や売上の成長がExcelで×10%のコピペで引いてあるような事業計画書は一番ダメ」と断言する。季節要因や、ある段階で何が起こるかを細かく想定して数字に落とし込んでいるかどうか。想定が緻密なほど、想定外のことが起きたときにPDCAが回しやすくなる。
ヒルズ族の経営者を間近で見てきた経験から、「成果を出している経営者は、最も重要な指標が見えていて、そこに集中する」とも語る。CPA、LTV、チャーンレートなど個別最適に走りすぎると、かえって事業全体のスケールが見えなくなるという指摘だ。
西條氏は2012年末にサイバーエージェントを退社。当時およそ40歳手前。クロステックベンチャーズを立ち上げ、ベンチャーキャピタルとスタートアップスタジオの両輪で活動を始めた。
そして個人で上場企業サイト(伊藤忠商事の元子会社)をTOBで買収する。当時の時価総額は50億円台中盤。スキームは公開資料にある通りで、SPC(特定目的会社)を設立し、自己資金は数千万円程度。SPCにバリュエーションをつけてエクイティで調達し、対象会社のキャッシュを活用したLBO(レバレッジド・バイアウト)を組み合わせる構造だった。
「将来こういう事業をやるからこのバリュエーションで調達させてください、というスタートアップの資金調達と同じ発想」と西條氏は説明する。買収後、サイトの売上はおよそ倍となる100億円規模まで成長している。
IT業界でM&Aが増えている肌感覚は西條氏も持っている。ただし「年商10億円未満の会社を買うのは相当な覚悟が必要」と繰り返し警鐘を鳴らす。
割安に買って利回りを取るだけならよいが、買収を通じて事業を大きくしたい場合、年商10億円未満の会社はほぼ新規事業と同じだという。芸風(カルチャー)、メンバー、既存のやり方が消極的な障壁となり、買収側の意思決定通りには動かない。
さらに西條氏はPMF(プロダクトマーケットフィット)の定義についても独自の見解を示す。「SaaSなら年間ARR10億円までいける状態になって初めてPMFしたと言える」。月商1000万円程度でPMFを宣言してマーケティングや営業に振り切ると、後からチャーンが上がったり代替されたりして苦しくなるケースが多いからだ。
起業家への助言として西條氏が強調するのは「組織を上から作れ」という点だ。
伸びていない会社の目安として「創業から3年経った時点で、取締役や執行役員クラスの経営チームが3〜4人できていない会社は危ない」と語る。意図的に幹部を採用し、権限委譲を進めなければ、社長一人でできることは限られている。
さらに、ある程度の年齢で起業した場合のテクニックも示す。「45歳で起業するなら、まず一回り下の33歳の幹部候補を採用する」。学生や20代に対しては、10歳以上離れた経営者だと共感を得にくく、リファラル採用も難しい。一回り下を雇うことで、その下の世代へのリーチが生まれる。
2000年当時、インターネット広告の市場規模は4500億円程度。広告市場全体の約1%にすぎなかった。テレビCMの華やかな世界に対し、ナショナルクライアントを抱えていない当時のインターネット広告事業は「ダサい」「怪しい」と見られていた。
それでも「この市場は必ず大きくなる」と信じ抜き、外部の声に揺さぶられず実行し続けたことが最大の学びだったと西條氏は語る。
「ある意味、宗教的に自分自身を思い込ませて引っ張っていくことが重要。ほとんどのマーケットの初期はダサい・怪しい・いかがわしいと見られる。そこでマインドをどう保つかが勝負を分ける」
シリアルアントレプレナーが増えるなか、早期にイグジットすべきか、長期保有で大きくすべきかという問いに対しても、西條氏は明確な見解を持つ。
「登りたい山の高さは人によって違う。小さい山を登るのが好きな人がスモールイグジットを繰り返しても、2回目3回目で急にスケールアップするわけではない」。一方、孫正義氏や北尾吉孝氏のように高い山を登る経営者は、そもそも小さな事業に興味も情報も向かないという。時価総額1000億円超の企業を作った経営者は、漏れなく「最初から会社を大きくしようと思っていた人」だと振り返る。
海外展開については、出張ベースや現地の組み合わせで「なんとかなる」発想は通用しないと指摘。トップクラスの人材が現地に住み込み、ユーザーやネットワークを理解することが必須だという。アメリカは難易度が極めて高く、任天堂のように日本で磨いた商品を世界に展開する形のほうが現実的との見解を示した。今注目しているのは東南アジアだ。
M&Aブームについては「IT業界で必ず起きる」と予測する一方、過去のM&A実績がある上場企業やPEファンドでも、うまくいっていないケースは少なくないと指摘する。「初めてM&Aをやる」「調子に乗って連続してやってしまう」ケースほど、しばらくして綻びが出るという。
また、日本のスタートアップ市場については冷静な認識を促す。「ほとんどの起業家の事業は、時価総額数十億円いったら成功というモデル。それは起業家が悪いのではなく、日本国内のマーケットの大きさがそうさせている」。海外を含めて事業を作れる起業家が増えなければ、人口減少のなかで構造は変わらないと語った。
単一事業で成功した経営者ほど「自分は万能になった」と勘違いしがちだ、と西條氏は自戒を込めて語る。事業の成功は領域・タイミング・運の偶然が重なった結果であり、再現性は限定的。だからこそスタートアップには一発逆転の余地があり、ポジションが人を作る面白さがあるという。
サイバーエージェントの専務まで務め、個人TOBで上場企業の経営者となった西條氏のキャリアは、後出しじゃんけんの選球眼、リアリティのある事業計画、上から作る組織論、そしてダサく見えるマーケットを信じ切る宗教性という、いくつかの一貫した哲学に裏打ちされていた。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです


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