東日本大震災で親会社に見放され、債務超過30億円からスタートしたロコンド。マッキンゼー出身の田中裕介社長が語る、地獄からの復活劇とM&A12社全成功の秘訣、そして「素直さ」を武器にした独自の経営哲学とは。
田中裕介氏は新卒でマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。最年少マネージャーへと昇進し、年収1億円を超えるパートナーへの道も見えていた。
そんなとき、当時の上司から「お前、このままパートナーになろうとしてるだろう。30前になれるかもしれんが、お前は多分クソつまらなくなるぞ」と告げられる。マッキンゼーのMBA留学制度を使い、ハーバード、スタンフォードに落ちた末にUCバークレーへ進学した。
2007年当時のシリコンバレーは、Facebookが大学のクラスルームに浸透し始めた時代。教室で初対面の学生から「Facebookやってる?」と聞かれる空気感の中で、田中氏は起業への意識を高めていった。
MBA卒業時の2009年、リーマンショックが直撃。コンサルティング業界は真っ先にコスト削減対象となり、マッキンゼー東京オフィスから「帰ってきても今は仕事がないからプラプラしておけ」と告げられる。
そこで田中氏はDeNA創業者の南場智子氏との縁を頼り、半年間限定でDeNAアメリカへ。ゲームのプロデューサーなどを担当したが、コンサル出身者が事業会社で短期間に成果を出すことの難しさを痛感した。
このとき田中氏は南場氏に「モバオク(DeNAのオークションサービス)をスマホ前提でアメリカ展開しないか」と提案している。「もしあのとき進めていたら、メルカリより早くフリマアプリをやっていたかもしれない」と振り返る。
マッキンゼーへ復帰後、再び起業熱が高まり退職。VCを回るうちにドイツ系のロケットインターネットと出会う。同社が日本で立ち上げたばかりだったのが、靴のEC「ロコンド」だった。
「1年ほど一緒にやって、その後で次の起業を考えればいい」という話で経営に参画。10億円を投じて社員200名、テレビCMも投入する積極経営でスタートを切った矢先、2011年3月に東日本大震災が発生する。
ロケットインターネット本社は日本市場からの撤退を即決。残されたのは、大量の在庫、200名の社員、立派なオフィス、そして膨らみ続ける債務だった。債務超過は約30億円に達していた。
本社から香港に呼び出された経営陣4名のうち、田中氏以外は意気消沈していた。一方、有給期間中でマッキンゼーに戻る選択肢を持ち、ちょうど第一子が生まれるタイミングだった田中氏は「神のおぼし召し」とすら感じ、香港でも余裕を持って振る舞っていた。
その姿がロケットインターネット幹部のオリバー氏に気に入られ、「お前が会社の株を引き取るなら、追加で5億円を通す」と提案される。月額のランニングコストは1億円規模で、5億円では半年も持たない。それでも田中氏は、200名の社員の一部でも救えるならと判断し、株式を引き受けて社長に就任した。
社長就任直後、子供が生まれた翌日から、子供がいる社員を解雇する作業が始まった。資金繰りも厳しく、「お金が払えません」と頭を下げ、靴の在庫を引き上げにきたトラックに倉庫を囲まれ、女性社員が泣き出す現場にも何度も遭遇した。
5億円が尽きる直前に、ようやく日本のVCから新たな出資を引き出す。それでも創業から3〜4年は「ひたすらVCのお金集めをした記憶しかない」と田中氏は語る。
ロコンドのビジネスモデルは返品無料という当時画期的な仕組みを採用していたためコスト構造が重く、参考にしていた米Zapposも年商1,000億円規模で初めて黒字化していた。「このままでは100億円を超えても損益分岐点に届かない」と気づき、一部商品の返品に着払い負担を導入するなど、地道なチューニングで100億円規模での黒字化を可能にしていった。
田中氏は、コンサル出身者が事業会社で成功するかは「Excelとパワポの中にこもらないかどうか」だと語る。事業会社では売上を作ることが何より重要であり、Excelで分析するだけで実行に動かない人材は会社にとって不要だという。
一方で、走りながら考え、素早く意思決定する場面では、コンサル時代の頭の使い方は強力な武器になる。「コンサルと経営は全く違う競技。ただし生きてはいる」というのが田中氏の整理だ。
また創業から6〜7年は、CXO型のマネージャーモードで各部門を任せきっていたことを反省点に挙げる。エンジニアと開発の優先順位を議論することすらできなかった当時の自分を「20点」と評する。柳井氏(ユニクロ)、孫氏(ソフトバンク)、三木谷氏(楽天)らは皆「ファウンダーズモード」で各部門の中身を細部まで把握していると指摘し、急成長期には創業者が深く入り込む経営が不可欠だと語る。
2017年、創業7年目で東証マザーズへ上場。当時の年間利益は2〜3億円規模で、VCのファンド期限の都合に合わせた、いわゆるスモールIPOだった。
上場後、利益を出しながらも投資が足りないジレンマに悩んでいた田中氏は、先輩経営者から「IPOで資金が入ったのだから、また赤字でいいじゃないか」と助言され、上場企業として「黒字から一転、赤字10億円を目指す」計画を発表。投資家からの反応はすさまじく、ストップ安が2日連続で続いた。
「風呂の中で『俺はなんてことをしてしまったんだ』とぼーっとしていた」と田中氏。しかしテレビCMを実行に移すと、それまで前年比10〜20%だった売上成長率が70〜80%にまで跳ね上がり、株価は半年で回復した。
コロナ禍では、当初追い風と思われていたEC事業が苦戦した。「家にいるならスリッパでいい」と靴の需要が落ち込んだのである。
そんな中、株式会社侍(レペゼン地球関連)から「YouTuberとコラボしませんか」という営業メールが届く。当時、ヒカル氏も宮坂氏(吉本興業の問題で渦中の人物)もそれぞれ評判リスクを抱えており、組み合わせると「ダブルリスク」だった。
田中氏はここで顧客アンケートを実施。すると、ロコンドの主要顧客である女性層は、ヒカル氏のことを「ほとんど誰も知らなかった」。宮坂氏についても無関心な層が大半だった。「やってもプラスはないが、マイナスもない」というファクトに基づき実行を決定。結果、最初のコラボ動画だけで約10億円の売上が立ち、YouTubeを起点とした集客モデルが確立した。
田中氏は現在、ロコンドを含む7社程度の経営に関わり、これまでに12〜13社のM&Aを実行。すべて投資額を3年で回収しており「失敗ゼロ」を自負する。失敗の定義は「投資額をネット現金ベースで回収できないこと」だ。
M&A実務では、ビジネスデューデリジェンス(買収先の事業精査)からタームシート(取引条件書)、財務モデルまでを田中氏自身がワンオペで作成する。MBA中にプライベートエクイティとベンチャーキャピタル両方でインターンした経験が背景にある。
買収価格の上限は明確で、「純資産+利益×5」をマックスとして守る。シナジーを過大に見積もらず、コストシナジーが見えやすい案件、特に物流とITで重なる会社を中心に選ぶ。「自社で物流倉庫を東京ドーム3個分保有し、ITインフラも自社開発しているため、被買収企業の倉庫費用やシステム外注費がそのまま消える。買ったものだけで投資回収が成立する」という構造だ。
ガバナンスについては「創業者がいる会社は任せて大丈夫。雇われ社長の会社は自分ががっつり入る」と使い分ける。ロックアップは原則ゼロ。「無理に2年残ってもらう創業者にあまり意味はない」というのが理由だ。
出資比率は最低でも33.4%以上、多くは100%。VCのような少数株式の純粋投資はしない。
田中氏の経営スタイルは独特だ。労働時間は10時から19時で土日は働かない。20時以降は家でお酒を飲みながらSlackやLINE、YouTubeをチェックし、気になったYouTuberや企業に直接DMを送る。片瀬那奈氏との仕事も、深夜のDMから始まったという。
「経営者の人脈作り」のための起業家パーティーには否定的で、「行ったことがほぼない」。本当にビジネスをしたい相手にはメールやメッセンジャーを送れば返信は返ってくる、というシンプルな哲学だ。
現在の時価総額200億円規模を「まだ全然小さい」と捉え、マッキンゼーOBの先輩たち(M3、SmartHR、DeNAなど)が数千億〜兆円規模の事業を手がける中で、追いつき追い越したいという危機感が成長への原動力となっている。
J Groupは「ECモール」「物流・ITプラットフォーム」「ブランド」の3事業をシナジーを効かせて成長させており、オーガニック成長とM&Aを組み合わせて拡大していく方針だ。M&Aの対象は基本的に売上10億円以上のファッションブランド事業もしくはEC事業が中心となる。
最後に田中氏は、創業期の若手経営者にこう語った。「素直さと、自分から動いてビジネスチャンスを掴むこと。10個アタックして1個でも当たれば十分。今でも自分はずっともがいている」。
債務超過30億円という地獄からのスタート、ストップ安2日連続でも信念を貫いた赤字計画、ファクトベースのリスク判断、そしてM&A12社全成功。田中氏のキャリアは、戦略コンサル的な思考と現場への素直な没入の両立がもたらす経営の可能性を体現している。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです


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