東京大学工学部出身、沖電気を経て35歳でULSグループを創業した漆原茂氏。創業から5年半で上場を果たした技術立経営者が、急成長期のMBO決断、金では買えないチームづくり、そしてAI時代に激変するIT業界の未来像を語る。
ULSコンサルティング取締役会長であり、上場企業ULSグループの代表取締役会長を務める漆原茂氏。0から創業し様々なグループ企業の経営に携わる経営者だが、本人いわく「実態は今でもコードを書いているソフトウェアエンジニア」だ。
圧倒的な理系志向は中学生の頃から始まっていた。素数や演習率といった数学的な概念に憧れを抱き、ちょうどパソコンが世に出始めた時代に自分でボードを組み立てるような少年時代を過ごした。
「ゲームをやっていると、ゲームを作りたくなってくるんですよね」
大学は東京大学の工学部へ進学。学校に行かずに秋葉原に通うほどの没頭ぶりだった。研究そのものよりも「より早く社会実装したい」という思いが強く、起業という選択肢は学生時代から自然と視野に入っていたという。
大学卒業後は沖電気に就職。3年目にはスタンフォード大学の客員研究員として2年間渡米した。当時急速に登場していたコンピュータやUNIXといった技術を、現地で直接吸収したいという思いがあった。
沖電気時代は標準的なソフトウェアを提供する立場として、様々な事業部や外部の開発者と協働する経験を積んだ。「非常に自由にいろんなことをやらせていただいた」と振り返る。
起業を決意したのは35歳のとき。3人目の子供が生まれて5ヶ月後のことだった。
「自分のキャリアがどうのというより、世の中が何を求めているか。お客様は実際にビジネスで先端ITを使いたい。少人数でもいいからガチでやる、キレッキレな人こそ信用していただける。それは大企業では絶対にできないんです」
自社製品を持つ大企業の論理ではなく、お客様にとって本当にベストな提案をするためには、中立・独立の立場が不可欠だった。妻からは「むしろ早くやんなさい」と背中を押されたという。
創業当初から数億円規模の資金調達を実施。資本政策は「いいからお金をいっぱい集めましょう」という考えで、ベンチャーキャピタルや事業会社から調達した。フルアクセルで人を採用し、エンタープライズIT領域という「むちゃくちゃ面倒くさい業務システム」の世界で勝負を賭けた。
業績は急角度で伸びた。
- 初年度:約1.5億円
- 2年目:約6.9億円
- 3年目:約14億円
沖電気時代に築いた信頼が活き、創業時に「会社を立ち上げました」とメールを送ると、すぐに「だったら手伝ってよ」と引き合いが来る状態だった。アジャイル開発を2003年からエンタープライズ向けに導入するなど、新しい技術にも次々と挑戦していった。
しかし、急成長は組織に歪みをもたらしていた。
「無理やり受注してきたものをこなそうとする。メンバーは優秀で生産性は高いんですが、ギリギリの状態が続くとみんな疲れていくんです。『なんでこんなにいっぱいやらなくちゃいけないの』という不満も溜まっていました」
業績が好調なまさにそのタイミングで、漆原氏はMBO(経営陣による自社株買収)を決断する。創業4〜5年目のことだった。
「このまま行くと膨張になってしまう。中身が薄いまま大きくしても、それはもう僕たちじゃない。3年とか5年遅れるかもしれないけれど、あえて遠回りに見えても本当の正しい中身を作ろうと思ったんです」
VCなどから株式を買い戻す資金は、自宅を担保に銀行から借り入れた。
MBO後、漆原氏は組織のあり方を根本から見直した。自分たちが勝手にかけていた「トップラインを伸ばさなければ」という自己暗示的なプレッシャーを意識的に外し、DNAを毀損する行動を排除していった。
- お客様が言うから作る、ではなく、自分たちが本当に価値を出せる仕事だけをやる
- 意味のない数字だけを追うことはやめる
- 体制がないのに無理に受けてマンパワーで誰かにお願いするビジネスはしない
- お客様とバチバチになっても、こちらが正しいと思えば主張する
「数字は重要ですが、価値観に反してまで数字を上げるのは良くない。我々のコンピタンスは技術力と、最高のキレッキレのチームであり続けることなんです」
創業から5年半で上場を果たした。ただし上場時の写真は誰も笑っていなかったという。
「もちろん嬉しかったんですが、ここから先のほうがステークホルダーも増え、いろんな方からご意見をいただくことになる。覚悟の表れだったと思います」
リーマンショック時には市場全体が冷え込んだが、ULSはリストラを一切行わなかった。お客様から「リーマンショックがあるけれど、君たちはぜひ残ってくれ」と言われたという。
「僕たちのコンピタンスは、金じゃ買えないチーム。絶対にこっちはキープします」
新しい技術を選定する際、漆原氏が重視するのは「作った人」だ。
「機能はまだまだかもしれないし、動かないものもあるかもしれない。でも、作っている人たちがこういう経営陣だったら信用できるよね、というのがあるわけです。技術って、絶対に人なんですよ」
そのために渡米も頻繁に行い、SNSで繋がった上で実際に会社を訪問する。今年春には28歳のCEOスコット氏率いるCognition AIの経営陣が来日した際にも対談している。スコット氏は数学オリンピック3年連続チャンピオン(うち1回は満点)、競技プログラミングでも常にゴールドメダルを取るような若手で、世界中の優秀な人材が横で繋がっているという。
2022年、漆原氏はULSシステムズの代表取締役社長を横山氏に引き継いだ。創業から25周年を見据え、永続的に続く仕組みを作るための判断だった。
「コンフォタブルすぎるんですよ。次の世代、さらにその次の世代も見越したチーム作りを見据えるべきだと判断しました」
現在は取締役会長として、コードを書き続けながらも、IT業界全体の発展に貢献する活動にも力を入れている。2024年1月にはベネッセと共同で一般社団法人「ジェネレーティブAIジャパン」を設立。法規制やガイドラインの議論において、企業の枠を超えてノウハウを共有する場を作った。
「IT業界に育てていただいたわけですから、業界にお返しできることは何でもしたい。翻訳出版もたくさんさせていただいていますし、現場メンバーも含めてどんどん登壇しています」
生成AIの登場は、IT業界そのものを根底から変えると漆原氏は見ている。
「人月50万、100万でコンサルティングは1時間いくらで、というビジネスモデルそのものが激変します。しかも、かなり早いタイミングで」
2025年10月1日には、他企業と共同で「AI駆動開発コンソーシアム」を立ち上げた。AIをフル活用した新しいシステム開発スタイルを共有し、人月モデルのような旧来の構造を見直していく構想だ。
AIによってエンジニアの仕事は二極化する。言われたことを書く作業は自動化されてなくなる一方、ビジネスサイドに踏み込んでお客様と直接価値を生み出せるエンジニアの提供価値は上がる。
「AIを使いこなせるエンジニアのニーズは絶対に落ちません。逆にここに取り残されてしまう人はかなり厳しいでしょうね」
生産性が極端に上がることで、人間が暇になるのではなく、むしろ忙しくなるとも語る。Devinのような自律型AIエージェントを使うと、こちらが追いつかないほど成果物が生まれてくる感覚があるという。
ノーコードツールの普及についても、漆原氏は前向きだ。
「ビジネスサイドの人が、限りなく自然言語に近い形や画面操作だけで作れるようになっていきます。同時に、そういう環境を作るエンジニアも必要になる。両方が必要なんです」
「逆に今までは『距離があったからこそ成立していた、価値が高くないビジネス』があったかもしれない。そこはどんどんシュリンクしていくでしょうね」
モチベーショングラフの「現在」地点を聞かれた漆原氏は、これからの50年を「むちゃくちゃ面白い」と表現した。
「今からのイノベーションは、かつて見たことないレベルで来ると思うんです。毎年楽しい」
根底にあるのは、生粋の技術者としての好奇心と、作りたい未来像だ。アニメで見た光学迷彩や空飛ぶ車のような世界を、デジタルでサポートしていける余地はまだまだあるという。
自分が作ったものが社会に実装され、使っている人が「ホッ」とする。それが何よりの幸せだと語る漆原氏の言葉には、自分にとって大切なものを見極め、そこを徹底的に大事にしてきた経営者の哲学が滲んでいた。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです


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