高校時代はバンドマン、大学3年で起業、シードで2億円調達するもサービスは撤退。資金枯渇寸前から再起し、2024年に上場を果たしたロックス代表・中島氏が、学生起業の現実、資金調達、セカンダリー取引、組織崩壊までを赤裸々に語る。
ノンデスクワーカー向けの転職サービス「Zキャリア」を運営するロックス。代表の中島氏は、高校時代に始めたバンド活動を経て、大学在学中に学生起業の道を選んだ。創業から12期目を迎えた今、2024年に上場を果たすまでの道のりは、決して順風満帆ではなかった。シード調達した約2億円を溶かし、資金が尽きる手前で何度もサービスをつくり直してきた経験。本記事では、学生起業の現実から資金調達、セカンダリー取引、組織崩壊の乗り越え方まで、本音で語ってもらった。
中島氏がバンドを始めたのは16歳の頃。当時のガラケー向けSNS「前略プロフィール」で音楽仲間を探し、20歳までバンド活動を続けた。仲間内ではデビューする者も出る一方で、自身は売れる見込みがなく撤退を決めたという。
大学は青山学院大学に進学。バンド活動を前提に学部も選んだが、大学3年になる頃、たまたま受けていた講義に毎週起業家が登壇していた。当時はYouTubeで起業家の話を聞ける時代ではなく、その授業が転機となった。
「バンドよりはこっちの方が、もう1回当てられる可能性があるんじゃないか。やり直そうと初めて思えた」
ビジネスモデルありきではなく、「起業家になろう」という決意が先にあった。同級生が就職活動を始めるタイミングで、うまくいっていない学生に声をかけ、企業を紹介するイベント形式の事業からスタートした。職業安定法で人材紹介には資本金500万円以上が必要だったため、マッチング形式ではなくイベント形式で始めるしかなかった。
創業メンバーは中島氏を含めて3人。1人はすぐに離れたが、もう1人の山田氏とは上場後まで二人三脚で歩んだ。出資比率は中島氏が3、山田氏が1。マジョリティを保ちつつ進めた形だ。
初期メンバーは「起業したい学生」ではなく、就職活動中だった同級生や地元の幼馴染。「ロクな経験もスキルもない」普通の学生たちだった。だからこそ、逆に強かったと中島氏は振り返る。
「いい会社にも入れるし起業もできる、という選択肢があって選ぶのとは違う。これがダメだった時に、もう1回卒論に向き合って就活して、と考えたら『やっぱ頑張った方がいい』ってみんなが思った。みんな死ぬ気でやっていたし、熱量に序列はなかった」
キラキラしたキャリアの人材を初期で採用しようとしても、そもそも来ない。創業期の採用で重要なのは、経験よりも熱量と当事者意識だという結論にたどり着いている。
創業3年目、ロックスはスカイランドベンチャーズを皮切りに資金調達を実施した。当時は学生起業でもVCから資金調達できる事例が増え始めた時期だ。最初のサービス「当時」では合計1.5億〜2億円を調達したものの、人材紹介の免許取得にも苦戦し、結果的に売上を伸ばせないまま2年弱で撤退となった。
敗因を中島氏は端的にこう語る。
「ターゲットを絞らなかった。大きくしようという意識が強すぎた。経営のレベルも、すべてが足りていなかった」
創業から5年間は、キャッシュが尽きる手前で「うまくいくものを探さなきゃ」と必死に走り続けた。2億円を溶かした感情を聞かれると、「それ以上に必死になる」と答える。むしろこの経験を共に乗り越えたメンバーが、今もロックスの中核として残っているという。
「1回経験すると、どうにかなる、どうにかできるという自信が手に入る。最初の5年間うまくいかないところから成長軌道に乗せたという経験は、ある意味では大きかった」
バンドは諦めたが、起業は諦めなかった。その違いは何だったのか。
「自分個人の問題じゃなくなったのが1番の違い。創業メンバーも、一緒に立ち上げに入ってくれた同級生も頑張ってくれている。出資していただいた方々にもリターンとして返さなきゃいけない。そういうプレッシャーが、自分の中での信念になった」
100億、1000億という規模を目指すには、自分1人が食っていくのとは選べる選択肢の数が違う。漠然とした目標を具体化するため、中島氏は実際に100億円規模のビジネスをしている経営者に直接会いに行き、「どう考えて、どうやっているのか」を聞いて回ったという。
5年間の試行錯誤を経て、光が差したのが「スカウター」というサービスだった。それまでは個人向けにマッチングを提供していたが、小規模で人材紹介業を営む法人に対象を変え、SaaS型の月額課金モデルに転換したのが2018年頃。
サービスの根本は変わらないが、顧客と課金モデルをずらしたことで戦略がシャープになり、会社としてやることもシンプルになっていった。これが現在の主力事業「Zキャリア」の母体となる。Zキャリアでは、建築・物流・介護・飲食・販売といったノンデスクワーカー、年収200〜300万円台の方々の転職を支援している。
ロックスの累計調達額は約35億円。中島氏は資金調達を「営業と一緒」と語る。
「10社決まるなら100社話している。10社受けて10社受かるなんてない。それでも続けられたのは、最初の飛び込み営業で求人を開拓していた経験があったから。期待値がある程度できていた」
株主構成も特徴的だ。上場時点で外部株主比率の約半分はVC。残りは事業会社で、人材領域の競合となるパーソルやマイナビからも出資を受けている。
「事業会社からの調達は、お金以外のメリットも絶対にある。期待値=プレッシャーを適切に受けられるし、伸ばすためにどうすべきかも得られる。決して悪いものじゃない」
複数の事業会社から、しかも同じ領域で出資を受けることに対し、コミュニケーションは常に心がけて潜在的な摩擦を避けてきたという。
上場の直前、中島氏は保有株式の一部を約1億円分セカンダリー(既存株主への株式譲渡)で売却している。赤字先行で会社を伸ばす中、役員報酬も抑えており、思った以上に余裕がなかったためだ。
「上場を目指す中では、経費を勝手に使うこともできない。たまたま社外取締役にそうした余裕のなさが伝わって、もう少し余裕を持ってやった方がいいんじゃないかと提案された。とはいえ、自分が先にリターンを得てしまうことへの申し訳なさもあった」
決断の条件として、次のラウンドにもコミットすること、バリュエーションを抑えることをセットにした。妻と当時生まれたばかりの第二子もいる中で、多少の経済的余裕を得られたことで、より長期目線で経営できるようになったという。
「お金のリターンを得るためにやるというよりも、それよりも大事なことがあるよねと学べた。会社をもっと大きくしなきゃいけないという覚悟にもつながった」
組織が30人を超え、100人を超えたコロナ後のタイミングが、最も組織が崩れかけた時期だった。
「最初の10人なら毎日同じ場所にいて、話せば終わる。でも100人になるとコミュニケーションの頻度が人によって変わる。30%、40%辞めるような事態にはならなかったが、事業は停滞したし、重要ポジションの人が続けるのは厳しいと言ってきた」
何でもできる人などいない。その人が活躍する場をつくれていたか。考えが甘かったと中島氏は振り返る。事業が伸びたと思えば人の問題で停滞する、その繰り返し。原因が人なのか、事業なのか、やり方なのかが当事者にはわからない。
突破口は「探り探りやりながら結果を出す」しかなかった。年に1回は、戦略を丸ごと切り替える、ダメなものを一度全部断ち切るといった大きな意思決定を繰り返してきた。
「半年〜1年経てば『良かったじゃん』となるけど、その瞬間は地獄。それでも変えなきゃいけない時はある。トップにしか決められないこともある」
サウナも嫌い、運動も嫌い、ゴルフもしない、お酒は一滴も飲まない。中島氏は一般的なストレス解消法をほぼ持たない。
「結論、解消しない。問題が放置されていることに、より強いストレスを感じる。とにかくいち早く電話でも話して対策を決めて、今からやろう、と。それで打ち手が増えて、結果的に当たる数も増える」
「調子に乗った期間はない。1回くらい乗ってみたい憧れはあるくらい、内心はずっとドキドキしている」とも語る。
上場から半年。求められるものはさらに変わったという。スタートアップにとって上場は1つの大きな山だが、登り終えた翌月から「これからちゃんと伸びるんだよね」という期待にコミットする必要がある。
個人投資家、機関投資家とのIRコミュニケーションを通じて期待値を擦り合わせる一方、その時間を事業を伸ばすために使うべきではないかという葛藤もある。
「会社をまだまだ大きくし続けたいというのが前提にある。それが無理だと思っているなら、株主にちゃんとリターンを返すべき立場でもある。大きくすることでより良い選択肢を選び続けられる」
学生起業から事業を伸ばし、1段抜け出すために必要なことを聞かれ、中島氏は「コミュニティ選び」を挙げた。
「自分だけがやばいなと思える場所に身を置く。年が近い、いい先輩たちに『負けてられないな』と思える環境。アウェイで居続けなきゃいけない」
聞きに行った以上は、ちゃんと形にして報告するまでがセット。それがベンチャーのエコシステムを成り立たせてきたとも語る。社長は社内で指摘されづらい立場だからこそ、外部に「お尻を叩いてくれる」人を持つこと、慢心しないことが重要だと強調した。
ロックスは2025年度の新卒採用で70人超を予定している。前年までは10人程度だったところからの大幅な拡大だ。
「ロングタームで強くしていく時に、経験じゃなくて熱量を大事にしようと。何が何でも成功させようと思う気持ちを大事にした結果、新卒でいいじゃんとなった。俺たちもそうだったしね」
創業期の自分たちと同じだ、というのが理由だ。バンドマンから経営者へと転身し、12年間スタートアップの「地獄」を走り抜けてきた中島氏が、次の世代に託すのもまた同じ熱量である。
中島氏の12年は、決して華やかではない。シード調達2億円を溶かし、組織崩壊を経験し、ストレス解消もできないまま走り続けた。それでも諦めなかったのは、自分1人の問題ではなくなったから。共同創業者、初期メンバー、出資者、家族——巻き込んだものに対する責任が、循環するようにエネルギーになった。
「全力でやってよかったと思うことはあっても、もっと楽にできたな、手抜きできたなと思うことは1つもない」
上場はゴールではなくスタートライン。次の山に向かって走る経営者の背中は、起業を志す若者たちにとって、最もリアルなロールモデルの一つだ。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです


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