『キングダム』監修でも知られる早稲田大学・渡邉義浩教授が、孫子の兵法から導かれる経営判断の本質を語る。城攻めの愚、将軍の見極め、性善説と性悪説の使い分けまで、現代スタートアップに通じる古典の知恵を凝縮。
古代中国の軍略書『孫子』は、なぜ2500年を経てなお現代のビジネスパーソンに読み継がれているのか。M&A CAMPでは、『キングダム』の監修者としても知られる早稲田大学の渡邉義浩教授を迎え、孫子の兵法とスタートアップ経営の共通点について話を聞いた。城攻めの愚、信頼すべき将軍の見極め方、そして性善説と性悪説の本質まで——歴史の知恵を経営に転用するためのヒントが詰まった対談である。
「戦いで一番重要なことは、戦わないで制圧して、言うことを聞かせること」。渡邉教授は、孫子の核心をこう言い切る。
孫子の兵法には、武器の話や具体的な戦闘描写はほとんど登場しない。代わりに繰り返し説かれるのは、「戦わない」という思想だ。100回戦って100回勝つことが最善ではなく、戦わずして相手を屈服させることこそ最上である——という発想は、当たり前のようでいて、徹底するのは難しい。
この考え方は、ビジネスの世界にもそのまま転用できる。自分にとって有利な地点に相手を引き込み、そもそも消耗戦に持ち込まないこと。哲学として読めば、現代の経営判断にも示唆を与え続ける普遍性がある。
孫子の有名な一節に、「城攻めは下策」とある。10対1の兵力差がなければ、城を攻めてはならないというのだ。
渡邉教授によれば、城に立てこもった敵を正面から攻めるのは、それ自体が失策である。攻めるならまず城からおびき出し、自分の有利な地点で戦う。それができないなら、火攻めや水攻めなど、消耗を避ける手段を選ぶ。函谷関のような天険の要害をまともに攻めれば、たとえ勝っても国が傾くほどの被害が出る。
「壁にりついてガチガチ戦い始めた段階で損失する」——これは戦争に限った話ではない。レッドオーシャンで真正面からぶつかれば、勝者であってもダメージを負う。スタートアップが取るべき戦い方の原則が、ここに凝縮されている。
孫子のもう一つの特徴は、徹底した「コスト計算」の思想にある。
10万人の軍隊を約2300キロメートル先に派遣する場合の費用——現代の貨幣価値に換算すれば1000億円、あるいは兆単位にも及ぶ。孫子は、勝利によって得られるものと、戦争にかかるコストを冷徹に積算した上で、「100回勝っても国は滅ぶ」と説く。
これは、PMIやM&A後の統合コスト、あるいは新規事業への投資判断にも通じる視点だ。表面的な勝敗ではなく、トータルコストを直視できるかどうか。経営者が古典から学ぶべき視座のひとつである。
戦争は最終的に「誰に軍を任せるか」で決まる。孫子は将軍の素質について、信ずべき7つの基準を挙げているという。
真があるか、人として義であるか、といった人物像が問われる一方で、「情け深すぎる人は将に向かない」「短気な人は先陣に向かない」など、長所が状況によっては致命的な弱点になることも指摘されている。
渡邉教授は、漢の高祖・劉邦が中国を統一できた理由として、名将・韓信を得たことの大きさを挙げる。だが韓信もまた、創業期には重用されながら、最終的には呂后と陳平に陥れられて命を落とした。「スタートアップそのもの」と渡邉教授は笑う。経営チームの組成、CXOの抜擢と退場——歴史は繰り返している。
対談は、儒家の性善説と法家の性悪説の話題にも及んだ。
『キングダム』の世界観では、秦は性悪説に基づく厳しい統治というイメージが先行する一方、漫画の中の登場人物たちは人を信じて任せる性善説的な振る舞いをみせる。実際にはどちらだったのか。
渡邉教授の答えは明快だ。「人間の本性はすべて善である」と孟子は言い切る。子どもが井戸に落ちそうになれば、誰もが反射的に手を伸ばす——褒美のためではない、それが人間の本性だと説く。一方で荀子は、「お前は今まで嘘をついたことが一度もないのか」と問い、人間の本性は悪だと断じる。だからこそ礼が必要であり、礼が強制力を持てば法になる。
しかし渡邉教授は重要な指摘を加える。「思想は文明の頂点とはうまく合わない」。激しい思想が立ち上がるのは、文明が成熟してその価値観が終わろうとしているとき、あるいは戦乱で人が大量に死ぬ時代である。春秋戦国の500年にわたる戦乱があったからこそ、極端なまでに突き詰めた思想家たちが現れた。同じ時代、ギリシャでは哲学が花開き、釈迦・孔子・ソクラテスがほぼ同じ時期に生きていた——人類史的にも特異な時代である。
渡邉教授は対談の終盤、歴史を学ぶ意義についてこう語る。
政治学・社会学・経済学が「自分が今ここにいる」と横から世界を見る学問であるのに対し、歴史学は時間軸を縦に伸ばし、「なぜ自分がここに存在しているのか」を問う学問だ。視座を長くすることで、自分の意思決定が、過去のどの先人の失敗と同じパターンに陥っているのかが見えてくる。
スタートアップの経営判断、M&Aにおける勝負所、組織のリーダー選び——いずれも『孫子』や中国古典の知恵が、驚くほどそのまま機能する場面がある。戦わずして勝つ、城を攻めない、コストを積算する、将軍を見極める。古典は単なる教養ではなく、現代の経営者にとって実戦的な武器である。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです


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