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総合>ビジネス動画>CoCo壱番屋創業者・宗次徳二が語る、夜逃げ少年から800店舗・事業承継までの半生

CoCo壱番屋創業者・宗次徳二が語る、夜逃げ少年から800店舗・事業承継までの半生

2025/10/11
M&A CAMPチャンネル
M&A CAMPチャンネル運営局

幼少期は電気のないバラック生活、養父の競輪狂いで5歳から極貧生活。そんな宗次徳二氏が25歳で喫茶店を開業し、CoCo壱番屋を800店舗超に育て上げ、53歳でハウス食品グループへ事業承継するまでの軌跡と経営哲学を、本人が語る。

「これ以下はないぞ」というほど壮絶な幼少期を経て、CoCo壱番屋を800店舗超のチェーンに育て上げた宗次徳二氏。53歳で社長を退任した後はNPO法人と音楽ホール運営を中心に社会貢献活動を続け、20数年経った今も365日のうち362日ほどは早朝3時台に起床し、店舗周辺の街の清掃に立ち続けている。本記事では、本人へのロングインタビューから、その半生と経営哲学を振り返る。


夜逃げと電気のない生活——5歳からの極貧時代


宗次氏は石川県の戸籍上の出生地を持つが、産んだ実母とは0歳で別れ、4〜5歳の頃に養父・宗次福松氏に引き取られた。その養父が競輪に狂って財産を失い、経営も破綻して岡山県玉野市へ夜逃げをしたところから、彼の最初の記憶は始まる。


「夜逃げをしたその夜道、父の手を引かれて歩いていたのが最初の記憶です」


岡山では「丸きの夜」と呼ばれる小屋のような部屋で生活が始まった。電気代も家賃もすべて競輪に注ぎ込まれ、中学3年生で父が入院するまで、家には電気が通っていなかった。生活はろうそくの灯りが頼り。生活保護を受けても、その金まで競輪に消えた。


ご飯が食べられるのは「5回に1回くらい」。おかずは鼻かつおか大豆、するめいかなど硬いものばかり。それでも宗次氏は、よその子をうらやんだ記憶がほとんどないという。「もともとそういう生活しか知らなかったので、自分はこういう境遇なんだと思っていた」。


戸籍謄本で知った「自分は誰なのか」


中学3年生のとき、転居に伴う役所手続きで戸籍謄本を初めて目にした宗次氏は、誕生日も親も名前もすべて違うことを知る。


「お父ちゃん、なんで名前が違うの」と尋ねると、養父は「競輪でいつも負けて縁起が悪いから変えた」と答えたという。それまでは「元春(もとはる)」と呼ばれていたが、本人にショックはなかった。


中学2年で養父の胃癌が発見され、高校1年の6〜7月に養父は他界。家庭環境からして高校進学は本来ありえないものだったが、入学金5000円を出してくれる人もおらず「働けばいい」と思っていたら合格してしまった、という。


米屋・豆腐屋でのアルバイトと、初めての「楽しみ」


中学生から宗次氏は米屋で正月の餅つき、注文配達のアルバイトを始め、高校時代は豆腐屋のかけもちで生活費を稼いだ。学校の勉強は一切せず、誰も「しなさい」と言ってくれる大人もいなかった。


中学2年でバレーボール部に誘われたことが、それまでの人生で最大の楽しみとなる。大松博文監督率いる「東洋の魔女」がポーランドと名古屋で対戦する試合を観戦したのがきっかけで、強くはないチームながら勝手に練習することが「生きる元気の元」になっていた。


23歳で不動産業独立、運命の出会いと結婚


高校卒業後、決まっていた就職先を断り、新聞求人で見た「要普免」の不動産会社に飛び込み、即採用される。20歳で宅建を取得(当時は六法全書持ち込み可)、23歳で独立した。


結婚相手の直美氏とは、前職の会社の同僚として出会った。性格は「真逆」。4月18日の彼女の誕生日に、宗次氏は当時最も大切にしていたヴィヴァルディ「四季」のレコードをプレゼント。これが事実上の交際申し込みであり、それ以降は毎日仕事終わりに会いに行き、約1年半後に結婚した。


100万円を貯めて結婚式を挙げ、自宅兼事務所として2階建て23.5坪の建物を建設。1階の8畳間を不動産事務所にして、独立第一歩を踏み出した。


喫茶店「バッカス」開業、10分で人生が変わった


25歳のとき、4戸建ての建売を完成前に完売した利益で、妻と義姉らに任せるつもりで喫茶店「バッカス」を出店する。1974年(昭和49年)10月1日、開店当日にアドバルーン4基が上がる名古屋郊外で営業開始。


ところが——。


「開店して物の5分10分15分もしないうちに、いやすごく楽しい、この商売って」


わずか十数分で、宗次氏は不動産業の廃業を決意。お客様の反応が現場で直接見える喫茶店業に人生をかけることを決めた。1年後に2号店を出店、借金返済のためパンの耳を主食にする生活が再び始まる。


名古屋ではモーニング無料が当たり前のなか、おつまみまで30円を有料で取る方針も貫いた。「素人の癖して、プロの忠告を無視した」という独自路線が、結果として店の個性を作っていった。


カレー専門店「CoCo壱番屋」の誕生


カレーの出前需要が伸び、1日10〜30食出るようになったところで、3号店は喫茶店ではなくカレー食堂で行こうと決断。東京・神田の高架下で見た牛丼店の光景が「自分のイメージに合わなかった」ことから、店名候補だった「C&G(カレー&牛丼)」は一瞬で消滅。


帰りの新幹線・静岡あたりで「カレーならここが1番」「ココ壱番」と決まった。


1号店オープン直後の苦戦を経て、客単価6万円が見えてきたタイミングで2号店を出店。喫茶店事業を整理し、カレー専門店に集中する。当初の目標は「愛知県に10店舗」、年商1.8億円——「人には言えない恥ずかしい大きな目標」だったという。


自己流フランチャイズ、増収増益経営、最大借金155億円


他チェーンが看板使用料中心のフランチャイズを展開するなか、宗次氏は「自己流FC」を貫いた。コンサルタントも弁護士もつけず、すべて現場で学び、現場で改善する。「店舗オーナーにも利益を上げ続けてもらう商売にすれば、必ずうまくいく」という信念だった。


値引きは一切しない。価格競争に乗らないからこそ粗利は安定し、オーナーの事業拡大意欲が高まる。創業から800店舗まで、撤退店舗はわずか2店。融資は妻の直美氏が銀行交渉を担い、ピーク時の1999年には借金155億円まで膨らんだが、増収増益経営で問題は起きなかった。


お客様アンケートはがきの全件目視が、退任日の2002年5月31日まで続いたという。「これ以上のスーパーバイザーはいない、天の声です」と宗次氏は語る。


53歳で退任、ハウス食品グループへの事業承継


50歳・創業25周年・500店舗という節目で、宗次氏は突然株式公開を決断する。


「いつまでも自分ができるわけじゃないんだから」と、朝9時に出社した妻に「これ、株公開しようと思うんだ」と告げ、その場で意思決定。公開直前直後の社長交代を避けるため、妻が2期4年社長を務め、その後の事業承継につなげた。


後継として託す相手は、夫婦の会話で早くからハウス食品と決めていた。「それだけ信頼できる会社だった」。事業承継の在り方を、宗次氏は後年「日本一の事業承継」と公言するようになる。執着せず、退任日の翌日からは「ただの人」になりきった。


「もう自分の身内、親族、息子。やるつもりもないし、やらせるつもりもなかった」


退任翌日からのNPO・音楽ホール——第二の人生


退任から数日後にはNPO法人の設立を決め、半年後には許可が下りた。以後23〜24年、社会貢献活動を続けている。


2007年には音楽ホール「宗次ホール」を開業。スーパーゼネコンに施工を依頼し、一流建築家に設計を任せた音響特化型ホールで、クラシック音楽の普及に取り組む。チケットも安価に設定し、ランチコンサートは2500円前後。「クラシック音楽はスポンサーがつかず、協賛金を集めても苦しい業界。社会貢献の一環として全部持ち出しでやっている」。


寄付活動の対象は、生活福祉、子ども食堂、クラシック演奏家の留学支援(ドイツ留学なら年500万円規模)など多岐にわたる。資金源は上場時の株式放出益。「贅沢は恥ずかしい」という感覚が幼少期から染みついており、ブランド品も高級店も自分のためには使わない。


クラシック音楽との運命的な出会い


高校1年の6月、クラスメイトから5000円・5回払いで譲り受けたテープレコーダー。録音用に教育テレビのN響オーケストラ番組を吹き込み、翌朝再生したところ、2局目の冒頭に流れたのがメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調だった。


「いきなりの名曲率。普及の名作の中の人気ナンバーワン」


この偶然の出会いが、後の宗次ホール開業へとつながる。CoCo壱番屋時代は、移動中の車内で全国の店舗から送られてくる朝礼テープ・会議テープを聴くことに費やし、クラシックは完全に遮断していたという。退任後、3大テノールのパヴァロッティをきっかけに再びクラシックの世界に戻り、CDショップで1万8000タイトル分の音源を体系的に揃えた。


365日変わらぬ「現場第一・接客第一」


取材時刻の朝は3時台に起床し、3時40〜50分頃に打刻。4時前から書類処理、6時半〜8時半の2時間(夏は3時間)を街の清掃にあてるのが日課である。年365日のうち362日は同じリズムを保つ。


「休みがいらないんです。一般論で来られても余計腹が立ちます」


現場主義は退任後も変わらない。宗次ホール開演時には95〜100%の確率で入口に立ち、来場者を迎える。25歳で喫茶店を開いたときに書き留めた「接客第一」のメモが、今も人生の軸になっているという。


まとめ:執着しないこと、現場で学ぶこと


宗次氏のキャリアを貫くのは、(1)大きな失敗・後悔がない一貫した方針、(2)コンサルや成功事例ではなく現場と顧客アンケートから学び続けた姿勢、(3)退任後に過去への執着をゼロにしきった事業承継、(4)「贅沢は恥ずかしい」という幼少期からの価値観に基づく社会還元、の4点に集約される。


インタビューの中で繰り返されたのは、「行き当たりばったりでいい」「ただし誰にも負けないほど頑張る」「中途半端な気持ちならやめておきなさい」という、講演でも語っているシンプルな経営観だった。


※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです

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目次

  1. 1.夜逃げと電気のない生活——5歳からの極貧時代
  2. 2.戸籍謄本で知った「自分は誰なのか」
  3. 3.米屋・豆腐屋でのアルバイトと、初めての「楽しみ」
  4. 4.23歳で不動産業独立、運命の出会いと結婚
  5. 5.喫茶店「バッカス」開業、10分で人生が変わった
  6. 6.カレー専門店「CoCo壱番屋」の誕生
  7. 7.自己流フランチャイズ、増収増益経営、最大借金155億円
  8. 8.53歳で退任、ハウス食品グループへの事業承継
  9. 9.退任翌日からのNPO・音楽ホール——第二の人生
  10. 10.クラシック音楽との運命的な出会い
  11. 11.365日変わらぬ「現場第一・接客第一」
  12. 12.まとめ:執着しないこと、現場で学ぶこと
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