極貧生活から身を起こし、CoCo壱番屋を1000店舗超のチェーンに育て上げた宗次徳二氏。現場主義とお客様第一を貫いた経営哲学、ハウス食品への事業承継、そして引退後の社会還元活動まで、76歳の創業者が若き経営者へ語る本質論。
CoCo壱番屋創業者・宗次徳二氏は1948年生まれ。兵庫県の施設で育ち、尼崎で商売をしていた養父母に引き取られた。しかし養父は競輪好きで、商売は2年後に破綻。岡山へ夜逃げして以降、断片的な記憶が始まるという。
「日雇いで数百円もらっては、その日のうちに300円、400円を競輪に注ぎ込む生活でした。電気は切られたままで、ロウソクの生活が中学3年生まで続きました」
家賃が払えず転居を繰り返し、生活保護を受けながら雨つゆをしのぐ日々。それでも宗次氏は「他人と比べて羨ましいと思ったことがない」と振り返る。乱暴な父親であっても唯一の同居家族であり、言いつけで道路に落ちたタバコの吸い殻を拾い、競輪場の外れ車券から当たりを探す日々を過ごした。
「もう全部過ぎたことです。過去の話ですから」と淡々と語る姿には、極貧体験を耐え抜いた者だけが持つ強さがにじむ。
高校卒業後、自動車学校の指導員を志すも、求人誌で見た営業職に飛び込みで合格。23歳で愛知県にて不動産業を始め、建売住宅を1年余りで4棟販売した。
転機は喫茶店との出会いだった。1週間のモデルショップ研修を受けて開業した1号店は、オープンから10〜15分で物珍しさから客が押し寄せた。
「不動産業は新聞広告を出しても電話すら鳴らない。お客様に来ていただけることがこんなに嬉しいのかと、その瞬間に『これぞ転職だ』と思いました。同時に不動産業をやめることを即決しました」
モーニングサービスや過剰なおつまみといった当時主流だった価格・サービス競争を一切拒否し、「笑顔でいっぱいの店」を掲げて接客第一に徹した。
喫茶店2号店は半年間、毎日パンの耳を昼食にする苦しい時期もあった。それでも夫婦で毎月の返済を乗り越え、繁盛店に育て上げる。やがて売上拡大策として始めた出前メニューに「カレー」と「チャーハン」を加えたところ、カレーが1日30食出るほどの大ヒット商品となった。
「これだけ出るならカレー専門店にしよう」と決断。当初はカレーと牛丼の二本立てを構想して東京の店を視察したが、牛丼店のイメージが自分の理想と違ったため一本化を決めた。
「東京で10店舗回って、自分のカレーが一番美味しいと確信しました。『2番目に美味しい』なんて言うのは面倒だから、もう『ここ一番』で行こうと」
屋号「CoCo壱番屋」はメモに書いた瞬間、不動産契約書で慣れた漢数字の並びがしっくり来て即決定。妻も二つ返事で賛成した。
カレー業態スタート後、宗次氏は経営者人生で最も大切にした2つの原則を確立する。1つは現場主義、もう1つはお客様アンケートはがきの徹底活用だ。
「美味しかったという声より、悔しい思いをしたお客様の声を聞きたい。普通の社長より3時間早く仕事を始めようと、4時台に出社することを決めました」
この早起き習慣は34〜35歳の頃から始まり、現在76歳になっても続いている。取材時も午前3時20分台に起床していたという。
社員からのフランチャイズ独立を促す「ブルームシステム」も成功要因の一つだ。社員として4〜5年働き、定期積立で200〜300万円を貯めた後、銀行融資と組み合わせて独立する仕組み。ロイヤリティを取らず、本部は加盟店のためにあるという思想を貫いたことで、トラブルはゼロだったという。
50歳で500店舗を達成したタイミングで、宗次氏は株式公開を決意する。
「いつまでも自分ができるわけじゃない。社員のためにも公開しようと夫婦で決めました」
社長交代も自然に訪れた。19歳でアルバイト入社した社員を代表権のある副社長に据え、「自信がついたら言ってほしい」と伝えていたところ、半年後に「来期から社長をやらせてください」と申し出があった。53歳で経営を譲った後は役員も返上し「ただの人」になった。
「やり尽くしました、と言えるようになりました」
さらに将来の事業承継先として、創業初期からハウス食品への譲渡を夫婦で決めていた。子息は事業を継がない方針だったため、第三者承継ではなく信頼できる事業会社に委ねるという判断だった。最終的にハウス食品が株式の過半を取得し、宗次氏は会社からも資本からも完全に離れた。
株式売却で得た資金について、夫人が放った一言が宗次氏の人生観を決定づけた。
「あんた、それ一時預かりのお金だよ」
その言葉に深く納得した宗次氏は、NPO法人「イエローエンジェル」を設立。困窮家庭支援、子ども食堂への寄付、ホームレスへの炊き出しボランティア、若手音楽家への楽器貸与など、多岐にわたる活動を展開している。名古屋では音楽ホールも建設した。
早朝の街頭清掃も17〜18年続けており、名古屋市と協定を結んでメインストリート400メートルの花壇管理も担う。雨でも雪でも台風でも休まない。
「自分のお金は、亡くなるまでにゼロにする。それが嬉しくてね」
インタビューの最後、宗次氏は若い経営者にメッセージを残した。
「経営者人生は長い。最初の10年ではなく、その後の20年、30年を考えると、コツコツ積み上げた方がいい。うさぎと亀の競争です。一歩一歩着実に、油断せず、昼寝せず、お山の頂上を目指してください」
外部の付き合いやゴルフ、勉強会への過度な参加は「プラスマイナスでマイナスの方が多い気がする」と一刀両断。コンサルタントの会員になったこともなく、自己流を貫いてきた。
「現場主義を貫いていれば、お客様が一番の経営の先生です。明日これをこうすればもっと良くなる、と気づかせてくれます」
赤字経営については厳しく断じた。「赤字は悪。税金も払えず、誰の役にも立っていない。最低でも経常利益の1%は社会にお返しすべきです」
極貧から1000店舗超のチェーンを築き、引退後は資産を社会に還元し続ける——宗次徳二氏の経営哲学は、地味でも誠実に積み上げることの強さを示している。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです


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