一橋大学の競争戦略論の第一人者・楠木建氏が、経営における「好き嫌い」の重要性、努力の娯楽化、M&Aの成功要因、メディア産業の競争戦略までを縦横に語る。若手経営者必見の経営哲学インタビュー。
競争戦略論を専門とする経営学者・楠木建氏は、経営における「好き嫌い」の重要性をこう説く。
「世の中で『これがいいことだ』というコンセンサスが成立している価値基準を『良し悪し』と呼びます。一方、特定の個人や組織にとっての局所的な価値基準が『好き嫌い』です。良いことはみんながやろうとする。だから良し悪しは定義からして同質化を生むんです」
戦略の本質は「違いがあるから選ばれる」ことにある。多くの人が良いと思う方向に流れていけば、必然的に同質競争に陥ってしまう。だからこそ、自分の好き嫌いという独自の価値基準を起点にすることが、競争戦略上も合理的だと楠木氏は語る。
では、自分の好き嫌いをどう把握すればよいのか。楠木氏が薦めるのは「嫌いなことから明確にする」というアプローチだ。
「自分にとって嫌なこと、苦痛なことのほうが、本当に好きなことよりも分かりやすい。まずは嫌いなことに手を出さないようにする。これが第一歩です」
注意すべきは、嫌いなことを我慢して続けてしまうこと。周囲が「良い」と評価することを我慢して続けるうちに、自分が本当は何が好きなのか分からなくなってしまう──これが最も怖い状態だという。
さらに楠木氏は、「具体と抽象の往復」が好き嫌いの壺を見つける鍵だと指摘する。たとえば「都市開発のような長期プロジェクトが好きな人」と「コンサルティングのように短期で完結する仕事が好きな人」では、職業カテゴリーの違いではなく、時間軸に対する好みが違うのだ。具体を抽象化し、また具体に降りてくる思考の往復ができないと、自分の好みは見えてこない。
スタートアップではストックオプションなどのインセンティブ設計が当たり前になっているが、楠木氏はその限界を指摘する。
「インセンティブは誘因。自分の外にあって誘ってくるものです。これに対してドライブは動因。自分の中にあって、放っておいても出てきてしまうものです。インセンティブは効きますが、長持ちしない。お金は典型で、給料が上がっても、すぐにそれが当然の状態になってしまう」
すぐに役立つものほど、すぐに役立たなくなる。これが世の中の原理原則だと楠木氏は語る。ミッションやビジョンも、「今の時代に多くの人が賛同しそうなもの」として設定すれば、結局は良し悪しの話に戻ってしまい弱くなる。
結果を出すには、客観的に見て努力は不可欠だ。しかし楠木氏が強調するのは「当人がそれを努力と思っているうちはダメだ」という点である。
「傍から見るとすごい努力をしているように見えるが、本人にとっては娯楽に等しい。なぜならとても好きだから。これが最強です。高いレベルで努力が継続するから、上手くなり、成果が出る」
努力しなければと思っていることは、おそらく上手くいかない。それは本当に自分の好きなことではない、というシグナルだという。
数多くの経営者を観察してきた楠木氏に、好きな経営者のタイプを尋ねると、興味深い答えが返ってきた。
「経営者の特徴というよりは、商売のタイプですね。経営者の構想した競争戦略と関係ない理由で業績が大きく左右される商売は、あんまり好きじゃない」
具体例として挙げたのが製薬業だ。一発のブロックバスターが当たれば特許で15年間儲かる「一発もの」のビジネス。また、Facebook(メタ)のようなネットワーク外部性が強く効く「くじ引き商売」も、運の要素が大きいため観察対象としては好まないという。
逆に楠木氏が好むのが、ファーストリテイリングのような成熟業界の「土俵商売」だ。
「洋服はもう業界が一変するような技術は出てこない。だからこそ戦略でしか成功の原因は作れない。柳井さんに『もう一度やってください』と言ったら、やりますよと言うと思います」
M&Aを戦略の柱に据える企業は多いが、楠木氏はまず前提を整理する。
「M&Aは会社全体の事業構成をどうするかという意思決定なので、競争戦略の対象ではありません。競争している単位でしか競争戦略は存在しないので、M&Aで売ったり買ったりすること自体は、直接の対象ではないんです」
そのうえで、M&Aが失敗する理由は明確だという。
「買値が高いということです。プレミアムを乗せないと買えないので、100m走に出るのに自分だけ120m走らなきゃいけないようなもの。初期設定として負けているわけです。それでも勝てると思ってやるなら、なぜ自社ならできるのか──そこで初めて競争戦略が出てくるんです」
会社全体は法人というフィクションに過ぎず、稼いでくるのはあくまで個別の事業である。だからこそ競争戦略は事業レベルでしか存在しない、と楠木氏は強調する。
メディア産業についての見解も率直だ。
「BtoCでやるとすると、本質的に時間の取り合い、アテンションの取り合いです。みんな24時間しか持っていないので、基本的に筋の悪い商売だと思っています。昔と比べると参入コストが極めて低くなっているので、競争は激しい」
しかし、だからこそユニークな戦略が物を言う領域でもある。楠木氏は10〜15年前のNewsPicks創業期に、創業者の梅田氏らと「広告に依存せず、個人から直接お金を取れるメディア」を作ろうと議論したという。連載執筆もその一環だった。だが上場とともに同社はその戦略から外れていったと振り返る。
また、メディアに出演する人物について楠木氏はこう助言する。「幅広くアテンションを取りたい出演者は、そもそもニッチなメディアにはミスマッチ。じっくり読んで・聞いてもらいたい人を選ぶべきです」
最後に、スタートアップが陥りがちな罠について。
「『赤字を掘る』という言葉が、能動的・積極的な意味合いを持たされて使われていますが、掘った先にどういう出口があるのか。単に掘っているだけのケースがほとんど。赤字を掘った後のラッキーに期待するくらいなら、赤字を掘る前にラッキーに期待したほうがまだいい」
手段としての赤字は当然あり得る。しかしそれが「なぜ将来の利益につながるのか」を論理的に説明できなければ、自己正当化に過ぎない。
「掛け声は経営者が一番やってはいけないこと。構想や戦略の実行がない人の逃げ場ですから」
戦略はエンディングから考えるもの。手元の活動は鮮明に見えるのに、ハッピーエンディングに近づくほど解像度がぼやけていくとしたら、それは考える順番が逆だ──楠木氏はそう警鐘を鳴らす。最終的に「お客様にこの価値が認められ、ガンガンに対価を払ってもらえる」というゴールこそ、最も高い解像度で描かれるべきなのだ。
良し悪しではなく好き嫌い。インセンティブではなくドライブ。努力の娯楽化。土俵商売の魅力。M&Aの初期不利。エンディングからの逆算。楠木建氏の言葉はいずれも、経営者が原理原則から逸脱しがちな現代において、本来の場所に思考を引き戻すための羅針盤となる。「経営は、原理原則から外れていく世界を、誰かが正しい場所に戻していく営み」──その本質が凝縮された対話であった。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです
