経営者やYouTuberとして活躍する2人がインドで得度(出家)を体験。なぜ働きながら僧侶になるのか、得度の実際の流れ、家族との対話までをドキュメントで届ける、異色のライフスタイル体験談。
「表参道で髪切ろうと思ってたのに、まさか自分が坊主になるとは思ってなかったな」――インド・ナグプール。一人の経営者が、剃り上げたばかりの頭をなでながらつぶやいた。本記事は、M&A業界に関わる2人がインドで「得度(とくど)」、すなわち仏門に入る儀式を体験した一連の流れを再構成したものだ。得度は、僧侶になるための戒を授かる儀式だが、彼らはそれを「人生を捨てる行為」ではなく、「もう一つのOSを自分にインストールするための体験入学」と捉えていた。
現地で出会った先輩格の僧侶は、得度した後も金融機関で働き続けているという。「サラリーマン坊主」という言葉に、取材陣も驚きを隠せない。
「得度したからって全部捨てるわけではなくて、自分の心のあり方を整える。日本に戻ったら普通に働く」。彼の言葉に、得度=出家=仕事を辞めることという固定観念が崩れていく。
仏門に入るというと、家族や仕事を捨てて山に入るイメージが強い。しかし現代では、社会人として働きながら戒を受け、僧侶としてのもう一つのアイデンティティを持つというあり方が成立している。
そもそもの発端は、3年前のインド旅行にさかのぼる。心に悩みを抱えていた裕子さんが「私たちに何かできることはありませんか」と現地で食い下がったことから、日本人の旅人が遺跡を案内し、何日か一緒に旅をすることになった。
その旅の中で、彼は裕子さんに「お前は得度することになる」と告げたという。一方で、すでに数か月前の7月、岡山で得度を済ませていたのが、もう一人の主役・高橋氏。彼の決断もまた「ノリだった」という。
「僕の名前は清久という。祖父が3人の孫それぞれに将来を託していて、長兄は学者、次兄は商人(社長)、そして僕は『坊さんにする』と言われていた。でも、僕はお寺の息子でもないし、仏教の勉強をしているわけでもない。本当にやっていいんですか、と聞いたら、得度式は体験入学みたいなものだと言われた」
意外だったのは、その費用感だ。得度料は7万円。お布施や朝のお勤めに必要な道具、衣などすべて込みで10万円。「それだけですか?」と驚いた語り手に対し、僧侶は「それだけです」と返した。
勉強や修行は、得度後にゆっくり積めばいい。まず一度仏門に入り、僧名(戒名)を授かり、新しい人格をインストールする。その後、続けるかどうかはまた別の話。
「2つのOSで生きていってもいい。行ったり来たりすることもできる。それができるのが現代だ」――そう語る彼らにとって、得度は不可逆の決断ではなく、もう一つの人生のレイヤーを獲得する儀式だった。
決断にあたって最大のハードルだったのは、髪を剃ること、そしてそれを家族にどう伝えるかだった。電話越しの妻との会話が生々しい。
「家の中(の鏡で坊主の自分を見るの)が無理じゃん。カツラかぶる」
「取れた時のがやだ。坊主よりカツラが嫌」
「分かった。じゃあカツラしない」
語り手は「妻に嫌われることだけが一番の懸念だ」と本音を漏らす。同時に「亡くなる直前の方や、お子さんが白血病のご家族を取材で見すぎて、家族を大事にしないといけないと心底思った」とも語る。得度という非日常の決断の背景には、極めて現実的な家族との対話があった。
語り手は得度の意味をこう表現する。「心のトレーニングのために部活に入ったような感覚。1人で心を鍛えられる人もいるかもしれない。サッカー部に入らなくても上手くなる人がいるように。でも僕は意思が弱いから、部活に入った方がうまくなるタイプ」。
得度した後には、無限ともいえる修行のコースが用意されている。一度の儀式で終わらず、その後も継続的に「自分は本当に出家して続けるべきなのか」という問いを走らせるOSが、自分の中で動き始める。それこそがセレモニーの効用だという。
取材は、剃髪式の前日のお勤めから始まった。日本人の参加者を中心に、バンテージ(師にあたる僧)への挨拶が交わされる。中には経済界で活躍しながら得度を希望する20代の経営者の姿もあった。「ちょうど1年前に取材させていただいた方ですね」――昨年26歳で得度した彼は、今回は2回目の参加だという。
バンテージは語る。「沈黙するなと師から言われた。困窮した人を前に黙って通り過ぎることは、その人を殺すのと同じだ」。仏教の教えが、現代の経営者たちの倫理観と重なっていく場面だった。
働きながら、デュアルで仏教を学び続けることの意義についても語られた。「もっと厳しい印象があった」「支識(戒)も、こういう形で受けられるのですね」――参加者たちは口々に驚きを口にした。
そしていよいよ剃髪。鏡に映る自分を見て、語り手は言葉を失う。「何とも言えない気持ちですね」「ペタペタですね」。
しかし、そこにいる仲間たちの多くがすでに坊主姿だ。「坊主になっている方が普通という感覚に錯覚してくる」。明日には衣を授かり、戒名を授かる。完全にこの場に馴染んでいくのだろうという予感があった。
師は語る。「頭を丸める意味は、悟りをする象徴。どう見られたいかではなく、覚悟の表明でもある。それでも日本に戻れる。捨ててくることによって、見える世界もある」。
翌日、いよいよ戒名授与の儀式が行われた。「我が本名は◯◯である」と、新しい龍のお名前を授かる場面で映像は締めくくられる。
得度は、人生を一度リセットする儀式ではない。今ある人生に、もう一つの人格と名前を上書きインストールする行為だ。経営者として、家族として、ビジネスパーソンとして生きる自分はそのままに、もう一つの「OS」を獲得する。それが、彼らがインドで体験した得度の本質だった。
M&Aや経営の最前線で活躍する人物が、なぜインドで仏門を叩いたのか。その答えは、現代を生きる人間が複数の人格を持って柔軟に行き来する、新しいライフスタイルの提案にあった。費用は約10万円、期間は数日。サラリーマンとして働きながらの「兼業僧侶」も増えているという。心のトレーニングを部活動に喩える言葉、家族との生々しい対話、そして剃髪後のすっきりとした表情。本記事が、自身の人生のレイヤーを増やすことを考える人にとって、何かのヒントになれば幸いだ。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです
