DMM.com会長の亀山敬司氏、YouTuberのスーツ氏、宗教学を専攻した下山氏が「僕たちはなぜ生きるのか」をテーマに語り合った年末対談。死との距離の取り方、経営者のうつ、執着しない生き方、そして人生を「自由研究」として楽しむ感覚を語り合う。
年末に集まったのは、DMM.com会長の亀山敬司氏、YouTuberで完全自覚者を自認するスーツ氏、大学時代に宗教学を専攻し「死」について研究を続けてきた下山氏の三名。テーマは「僕たちはなぜ生きるのか」というシンプルかつ根源的な問いである。
スーツ氏の答えは明快だった。「自殺する気がないから生きている」。下山氏は「あらゆる悩みは、いずれ死ぬと思っているから生まれる。おじいちゃんになった時にはそんなこと考えていないだろうとも思うので、一旦保留している」と語る。
亀山氏は「死ぬよりも楽しそうだから、というぐらいかな。死んだ先に楽しみがあるか分からないし、今は楽しめている」と返した。三者とも、死を比較対象として持ち出した点が共通していた。
話題は、亀山氏が若い頃に紛争地帯(センチ)に足を運んだ経験へと移る。スーツ氏は「人間は一方でリスクを取ることで命を繋いできた面もある。死に近づくことが、かえって自分の命を伸ばす設計になっている」と推測する。
亀山氏自身の説明はこうだ。「日本も学生のもなくって平和だったから、なるべくやばいところに行きたかった。30年生きると思っていたから、20代の10年は人の3倍ぐらいのリスクを取れたんじゃないかな」。100年生きるつもりで計画を組む人と、30年で終わると思っている人とではリスク許容度が根本的に違う、という発想だ。
さらに「30を過ぎて大人になってくると顔も汚れてくるし心も汚れてくる、みたいな偏見があった。だから早めに終わりたいという気持ちもあった」と振り返る。一方で「もしかしたら、なんだかんだ言って死なないだろうとも思っていたかもしれない」とも付け加えた。
下山氏は、人生に虚無感を抱きやすい高校生・大学1〜2年生に対して、ある種の方法論を提示する。「どうせ死ぬから何をやっても意味ない、というニヒリズムに陥らないために、いつ終わってもいいけれど永遠の命があると仮置きしてみる」というスタンスだ。
これに対し亀山氏は「永遠の命があると思ったら、ダラダラっとなってしまわない?」と問い返す。下山氏は「永遠の命を覚悟するというのも、それはそれで一つの覚悟になる」と応じた。
スーツ氏は2025年12月末時点の自分の考えとして、こう語る。「DMMはずっと動き続けるし、仮に変わったとしても社会も変わっている。自分も日常生活で小さなDMM的なことを起こしているはずで、すでに世の中に死んでも影響を残し続ける流れは作っている。だから生命がなくなっても生きていると言える。逆に言えば毎秒死んでいるとも言える」。
亀山氏は「31歳で結婚して、意外と生きていてよかったなと思った。想像以上にね。だから今からもうちょっと生きてみようと思っている」と語った。
話題は経営者のうつ病率の高さに移る。スーツ氏は「会社がなくてもお金がなくても生活する方法はあるし、楽しいこともある。実際に自分も信用をわざと削ったりしている」とし、唯一伝えられることとして「あなたが死んだら私は悲しいよ、という言葉ぐらいしかない」と語る。
亀山氏は学校でいじめられて死を選ぶ子どもの話に重ねる。「世界が狭いから、ここで終わったら全部終わりだと思ってしまう。経営生命の終わりが命の終わりみたいになっちゃうんだろうな。所詮一つの番組でしかないと思えれば、また別の世界が広がる」。
スーツ氏も「優秀な人は一点集中で抜けた成果を出すからこそ、ビジネスの売上や規模拡大だけが社会的使命だと思い込みがち。だから自分はあまり思い入れを持たないように一生懸命やっている」と続けた。
亀山氏にとって、仕事とは何か。「旅で知り合った友達や趣味で知り合った人より、仕事で知り合った人間の方が、尊敬も欲望も裏切りも助けも、ドロドロしたものを含めてリアリティがあった。修羅場が自分を磨く感覚がある」。お金持ちになりたかったわけではなく、戦ったり助け合ったり憎み合ったりする人間そのものが面白かったのだという。
下山氏の「自由研究」はユニークだ。誕生日に山口の実家の山にある先祖代々の墓の横に穴を掘り、自作の箱に1日埋まって瞑想する。24時間、手の輪郭も見えない暗闇を作って友達を呼び対話する。自分と等身大の素像を作って壊そうとしたら「リアルすぎて壊せなかった」など、自身の感覚を実験的に確かめる行為を続けてきた。
宗教学とは「教義の中身を深掘りする神学」ではなく、「複数の宗教の共通点や、信仰している人々の特徴を社会学・医学的にアプローチする学問」だと下山氏は説明する。「自分にとって世界とはどういう関係性なのか」を確かめる手段として、宗教学的アプローチを使ってきたという。
スーツ氏が独学で行ってきた思考も、定義上は研究と呼べるかどうか曖昧だ。「東京大学で本を読み先生に聞くか、自分の頭の中だけでやるか。どこからが研究なのかは定義できない」。亀山氏はビジネスの中で、下山氏は儀式の中で、スーツ氏は発信の中で、それぞれが「自由研究」を続けている。
スーツ氏は前日に「YouTubeで稼ぎきった後、暇を潰すためにYouTubeをやっている」という動画を公開していた。司会の問いは「お金を稼ぎ切った後、暇をどう潰すか」。
スーツ氏の答えは挑発的だ。「暇が存在するのは生きているから。本当に効率のいい暇つぶしをするなら死ねばいい。でも一発分かってと思うよな、と」。
亀山氏も「結局、自分の考えなんて日々変わる。それでも今思っていることをとりあえず言わなきゃいけないから話す。漫画の吹き出しを全部言葉にしてしまっている感覚だ」と語る。会社経営でも「先月こうしろと言ったのに今月はやめます、みたいなことを何度もやっている」とスーツ氏。亀山氏はその姿に、自分が50歳まで表に出ずに頭の中だけでぐるぐる回していた思考を重ね、「心の声が聞こえてきて面白い」と笑った。
司会者は「自分は不老不死になりたいぐらい生に執着している」と打ち明け、なぜ三人にはそれがないのかを問うた。
スーツ氏は「永遠の命があると分かっていれば死は怖くない。命の定義が自分の身体活動なのか分からないから、もうすでに永遠の命を持っているものと定義している」と答える。100億円で不老不死の薬が買えても「やらない。もうすでにあるので」。
亀山氏も「いらない」とした上で、「長くなるとダラダラと生きてる感覚がなくならないか。期限があるから頑張れる。死にたい時に死ねないのは辛い」と語る。一方で「死ぬ前に、100年後の未来を10%でもいいから見られるとしたらカプセルに入る」とも。「答え合わせができないのが、また面白い」と笑った。
下山氏は「死にたい時には死ねる前提なので、長く生きた方が打席も回ってくるし楽しい。ハンターハンターの最終回は絶対見たい」と返した。
スーツ氏は前夜、亀山氏宅のホームパーティーに参加した。世の中のトップ層が集う場でありながら「意外と変わらないんだ」と衝撃を受けたという。亀山氏はこう答える。「アンダーグラウンドに来られない人もいるし、政治の人も含めて本当に変わらない。だから気軽な場所で会いましょう、ということになっただけ」。
幸せの8割は人間関係で決まる、という説についてスーツ氏は「同意するが、自分という核が前提。健康的な状態でないと、いくら周りに優しくされても敵だと感じてしまう」と補足。亀山氏も「同じ人が周りにいても、敵だと思う人にはみんな敵だし、誰でも愛せる人もいる。自己満足になりやすい方がいい」と語った。
下山氏は「一緒にやっている仲間が面白い人生になっていったら、自分も面白いと感じる」と述べる一方、「ブッダ、レオナルド・ダ・ヴィンチ、ソクラテス、ニーチェのように、幸せ以上に真理に近づきたい気持ちもある」とも語った。
亀山氏は「商売を通しても哲学はできる。それが宗教とは少し違うかもしれないが」と語り、下山氏は「結論が出ないからこそ、これが暇つぶしになっている」と返した。何千年も結論の出ない問いに、それぞれの場所で取り組み続けること。
対談の終盤、出てきたキーワードは「自由研究」だった。山にこもって研究する者もいれば、都会の資本主義の中で研究する者もいる。発表の場は学会でなくてもよく、各自が「夏休みの宿題」を提出するように、自分なりの問いを掘り下げていけばいい。
人生という自由研究の提出期限は、いつか必ずやってくる8月31日。それまでに何を持ち寄るのかは、生きている本人次第である。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです
