高校中退、フリーター、ワーホリを経て24歳でラーメン屋を起業。元手500万円から始めた1店舗目を20数店舗まで拡大し、上場企業へ15億円で売却。3社のM&Aを経験した小宮氏が、店舗経営のリアル、売却後の生活、そして「自由」を最優先する人生哲学を語る。
大学卒業後にファーストリテイリングへ入社し、わずか2年弱で独立。24歳でラーメン屋を起業した小宮氏。だが、そこに至るまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。
高校に入学してすぐ中退し、3年間ほどフラフラと過ごしていたという。工事現場でプレハブを組み立てる仕事をして、午前中で作業が終わると親方とパチンコへ。そんな生活を送っていた18歳のある日、同級生たちが大学進学や就職を決めていく話が耳に入ってきた。
「焼酎でちょっと酔ってたのに、なんか負けてんなと思って。社長になるしかないなと、その時決めたんです」
きっかけを掴むため、たまたま見かけたパンフレットを頼りにオーストラリアへワーキングホリデーに渡る。そこで出会ったのは、それまで接点のなかった「会社をやめてワーホリに来た」人たちだった。順調に見えても上手くいかない人生があると知り、そういう人たちをサポートできる仕事に就きたいと考えるようになる。日本に戻り、大検を取得して大学に入り直したのが小宮氏のキャリアのスタート地点だ。
大学時代のアルバイトをきっかけに「商売って楽しい」と感じた小宮氏は、社長になるなら好きなものでやろうと決め、ファーストリテイリングへ入社する。最初から将来ラーメン屋を開く前提で、店舗運営や経営ノウハウを学ぶための入社だった。
2年もたたずに退社し、貯めた500万円を元手にラーメン屋をスタート。料理人としての修業経験はなかったが、もともとラーメンが好きで食べ歩いていた小宮氏には独自の趣味があった。
「食べ歩いたラーメンを、材料を買ってきて家で再現するっていう趣味があったんです」
味については「なんとかなる」という感覚があった。ただし、お店を始めて初めて気づいたのが「1日を通して美味しさを維持する」ことの難しさだったという。
最初の店舗は文京区千石。柴又通り沿いの小さなお店だった。
「閑古鳥が住みつかないぐらい暇でしたね」
売れてきたと感じるまでに1年、利益が出るようになるまでに1年半。元手の500万円はすぐに底をつき、親戚のおじさんから300万円を借りて食いつないだ。
転機は2店舗目を出したタイミングだった。複数店舗を持つことで、ユニクロで学んだ仕入れや人件費のコントロールが活きるようになる。固定費だった人件費が変動費に変わり、経営の数字が動き始めた。最終的に20数店舗まで拡大していく。
複数店舗を回していくうえで小宮氏が重視したのは「バランス」だった。
「美味しいって不確定要素が多いんです。でも僕が美味しいと思うものを自信を持って出すのは必要なこと。あとは店構え、内装、価格設定、制服、商品、すべての違和感をなくすことが大事」
例えば店構えが豪華なのに300円のラーメンを出していれば、お客は違和感を覚える。すべての要素を噛み合わせることが、結果としてブランドをつくる。
また小宮氏は、自身が料理人ではないことを強みに変えた。包丁も使えないため、ネギを切る機械の導入も早かったし、「これで一杯」と決まったレシピでオペレーションを徹底的に簡略化した。
「自分ができないのが分かっているから、オペレーション自体が常に簡略化されていた。結果的に振り返ると勝った点ですね」
小宮氏は2店舗目を出したころから、すでに会社売却を意識していたという。理由は2つある。
ひとつは、ラーメン業界の流行り廃りの激しさを実感していたこと。「昔は行列だったのに、味が落ちたわけでもないのにお客さんが来なくなる店」を数多く見てきた。自分が何十年も続く店をつくれるとは思わなかった。
もうひとつは、自身の「最長キャリアが義務教育の9年間」だという自己認識だ。
「9年間は続くんだなと思ったんですけど、それ以上は未知数。だから人生を10年刻みで考えている」
10年後にやりたいことは分からない。だから10年で一旦区切る。次の10年もラーメンをやりたければまたやればいい。今もそういうスタンスで生きているという。
ただ、店を出せば売れる状況が続くと、その意識は次第に薄れていった。それを思い出させたのが東日本大震災だった。「これも潰れるのか」と感じ、自分が決めた10年以外にも外的要因はあると痛感。改めてM&Aへ舵を切ることになる。
売却時の業績は営業利益約2億円、役員報酬1億円。実質3億円のキャッシュを生む会社になっていた。
M&Aのきっかけは、月1で行っていた会計事務所とのミーティングでの何気ない一言だった。
「ところで僕の会社って今どのくらいの価値なんですか、と聞いたら、電卓を叩いて『15億ぐらいじゃないですか』と」
小宮氏が目標としていた個人資産は5億円。その3倍の評価額を提示され、「もう望むものは何もない」状態になった。譲渡先は飲食を専門にする上場企業。交渉条件もほとんど気にせず、株式100%を譲渡した。手元には税引き後で約12億円が残った。
ロックアップ期間として2年間、代表として残り、その後さらに2年間「ラーメンを作ってはいけない」契約期間が続いた。
後半の2年間、小宮氏は文字通り何もしない時期を過ごす。最初の1〜2ヶ月は解放感に満たされていたが、それ以降は様相が変わった。
「本当に社会との接触がなくなるんです。仕事ってお金を稼ぐために必要なものだと思っていたけど、これは社会の接点なんだと初めて思いました」
業者やスタッフから何かを求められることが「嫌で嫌でしょうがなかった」のに、それが消えると「俺は必要とされていない」と感じるようになる。人は必要とされてこそだと痛感した時期だった。
2年間の代表期間中、小宮氏は親会社にお伺いを立てる立場で経営を続けた。彼が手がけていた「つけ麺」事業には強みも弱点もあったが、その弱点を補うアクションを親会社は取らなかったという。
「目に見えるいいところだけ伸ばしていけばいい、という発想で。反抗仕事が多くなって、つまらなくなったんです」
役員報酬は2000万円。このまま10年残れば2億円。しかし辞めて自分で稼げば、それ以上は確実に稼げると判断し、退任を決断した。
2019年4月、競業避止義務が解除されたタイミングで、小宮氏は再びラーメン事業を立ち上げる。立ち上げから4ヶ月後にコロナ禍が直撃するという厳しい船出だったが、約5年間で事業を成長させ、2024年12月に2社を1つの譲渡先へまとめてM&Aを成立させた。
この2回目のM&Aでは、仲介会社を入れず、自身が直接窓口になって交渉を進めた。
「会社のことを一番知っているのは僕だから、直接話した方がいいと思ったんです。ただ、めちゃくちゃめんどくさかったですね」
デューデリジェンス(買収対象企業の調査)で飲食には関係のない質問もフォーマットで投げられ、税理士に丸投げした部分もあったという。初回のM&Aを経験している小宮氏ですらそう感じるほどなので、初めての売却なら仲介会社を入れる方が無難だとアドバイスする。
12億円の現金を手にしても、小宮氏のライフスタイルはほとんど変わらなかった。シンガポール移住も考えなかった。物欲はむしろ減り、洋服はユニクロ、車はトヨタ。
「上を見たらキリがない。どこの数字を目指しても必ずちょっと上は存在する。そこで変な競争をするより、僕が満足する食べ物と旅行先と洋服があればいい」
採用方針もシンプルだ。「性格のいいやつを採用してくれ」とだけ伝える。マニュアルはあえて細かく作らず、お客様の利益のために行動した結果なら会社に損失が出てもいいと現場に伝える。判断基準を統一することで、20数店舗の組織でも目線を揃えてきた。
小宮氏が外でユニクロを着るのには理由がある。
「ラーメン屋は常連さんに育ててもらう商売。僕がエルメスやグッチを着て『調子に乗っているな』と思われたら、それはラーメンをまずくすることだと思っているんです」
1杯800円〜1000円の商売で、利益は数十円の積み重ね。だからこそ天狗になる要素がない。客商売で気に入られてなんぼの世界で、自分の成功を顕示することはマイナスにしかならない、というのが小宮氏の哲学だ。
最後に、これから事業を伸ばしていく1回目の起業家へのメッセージを聞いた。
「30歳までに失敗しようと思っていたんです。30までに失敗すれば、最終就職先もあるし、何とでもやり直しが効く。好きなことを追求して、上手くいかないこともあるけど、損切りラインだけ決めておけば、あとは突っ走っていいんじゃないですかね」
日本にいる限り、5体満足であれば食いっぱぐれることはない。失う恐怖より、好きなことを真剣に誰よりも深くやることを優先しろ、というのが小宮氏のアドバイスだ。
そして小宮氏自身は、上ぶれラインも決めている。15億円から30億円を目指せばさらに15億円は手に入るかもしれないが、その分の自由な時間を失う。彼にとって、お金より時間と自由の方が価値が高い。
「やりたいことをやるための時間を優先したい」
10年スパンで人生を区切り、好きなものに全力で走り、得たVALUEがその期間の成績表になる。小宮氏の経営哲学とライフスタイルは、起業家にとってひとつの示唆に富んだ生き方を示している。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです


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