早稲田大学ビジネススクールの入山章栄教授が、M&Aで経営者が高値掴みをする理由、不確実性時代の事業計画の立て方、日本のスタートアップが世界で勝つための条件を語る。アッパーエシュロン理論やセンスメイキング理論を軸に、経営者の思い上がりとTAMの捉え方を解説。
早稲田大学ビジネススクール教授で『世界標準の経営理論』の著者として知られる入山章栄氏。経営学者として理論研究を重ねる一方、ソラコムの社外取締役を務めるなど、実際の経営現場にも深く関わる。今回はM&A CAMPの取材に応じ、M&A、事業計画、日本のスタートアップが直面するグローバル化の課題について語った。
冒頭で入山氏が指摘したのは、M&Aの厳しい現実だ。「統計分析では、M&Aの成功確率は3分の1ぐらい。半分以上のM&Aは基本的に失敗する」。何を「成功」と定義するかは難しいが、株価の反応、買収後数年の利益率や成長率、マーケットキャップなど、世界の経営学者がさまざまな指標で計測を試みているという。仮に業績が上がらなくても、そのM&Aから何かを学べていれば成功と言えるかもしれない。それでも学者間のコンセンサスは「半分以上は成功しない」だ。
入山氏が紹介したのが「アッパーエシュロン理論」。会社の意思決定や行動、業績は経営者の性格・個性・能力にかなり規定されるという理論で、世界の経営学では大量データで検証されてきた。
その中で注目されるのが「ヒューブリス(hubris)」、すなわち経営者の思い上がりや過信だ。思い上がっている経営者ほど、M&Aの際に高値掴みをしやすいという統計的な相関がある。「自分はこの会社を買えばバリューアップさせられる」と信じているため、高いバリュエーションでも買えてしまう。本来は社外取締役などのガバナンスが抑えるべき場面だが、「ここは俺に任せてくれ」と押し切られると止まらない。
一方で、思い上がりは自信の裏返しでもあり、リスクテイクを後押しする側面もある。問題は、それが「過剰なリスク」になってしまうことだ。
対照例として入山氏が挙げたのが、日本電産(現ニデック)創業者・永守重信氏だ。過去60件のM&Aで一度も失敗していないとされる。永守氏に話を聞くと、共通する哲学はシンプルだった。
「とにかく高い時は買わない」。景気が良い売り手市場の時には動かず、市況が悪化していい会社が苦しくなったタイミングで安値で買う。徹底した逆張りである。「採用と似ているかもしれない」と入山氏は言う。
経営者が経営学を学ぶ意義については、意外にも入山氏は慎重だ。「優秀な経営者は学なんか勉強しない。でも日々勉強している」。優秀な経営者同士の議論や交流、自身の挑戦と失敗から学ぶことの方がはるかに重要だという。
そのうえで、経営理論は「整理する道具」として使えばよい、と語る。世界中の経営学者が大量のデータと科学的分析で導いた知見は、絶対の正解ではない。だが「こういう態度を取るリーダーは部下をこうしやすい」「こういう戦略の会社はこうなりやすい」というメカニズムが見えている。経験を積んだ経営者が自分の考えを整理し深めるための材料として活用すれば十分だ、というのが入山氏のスタンスだ。だからこそ、ビジネス未経験の大学生が読んでもピンと来にくい、とも付け加える。
不確実性が高い時代の事業計画について、入山氏は「計画の時代は終わった」と断言する。背景にあるのは「センスメイキング理論」、いわゆる腹落ちの理論だ。
変化の激しい現代では、どんな精緻な計画も予定通りには進まない。資金調達の場面で求められるのは、正確性よりも納得性、つまり「ストーリー」である。「世の中はこういう方向に行くはずだ。だとしたら、こういう事業がこういう価値を生むはずだ」という腹落ちできる物語があるかどうか。
これは学術研究でも裏づけられている。投資家向けピッチや上場企業の目論見書を解析すると、腹落ちさせる文言を効果的に使う経営者ほど資金調達に成功している。バリュエーションも本質的には「言い値」の側面があるからこそ、「腹落ちする話ができる人」は高めのバリュエーションが付きやすい。
少々過激な表現で入山氏は語る。「数字をでっち上げるんですよ。自分で納得しているから、これくらいいけるはずですと言って、投資家や銀行を言いくるめる。ストーリーテリングとは、要するに言いくるめることです」。
ただし、それは独りよがりとは違う。自分が腹落ちしているから、ステークホルダーも腹落ちさせられる。腹落ちした仲間が増えれば、一人ではできなかったことができてしまう。これが学術的に「セルフフルフィリング(自己実現)」と呼ばれる現象だ。最初は無謀と思われたスタートアップが、仲間を集めながら不可能を可能にしていく――成功するスタートアップに共通するパターンである。
入山氏は、日本のスタートアップに対して率直に「物足りない」と評する。世界で勝負できている企業がまだ少なく、上場後に時価総額を伸ばせず、売上10〜20億・マーケットキャップ100〜200億で安定してしまうケースが目立つ。
グローバルで戦えない要因として、入山氏は2点を挙げた。
1点目はプロダクトの性質だ。日本の大手企業向けにフィットしたSaaSや、日本人同士のマッチングを前提にしたサービスは、米国・欧州・東南アジアではそのまま通用しにくい。メルカリが米国で苦戦しているのも、CtoCのカルチャー依存性が高いためだという仮説を示す。一方、自動車や家電のように「物さえ良ければ分かってくれる」プロダクトでは、日本企業は強さを発揮してきた。
2点目は経営チームのグローバル志向と人材だ。早い段階から執行役員クラスにインターナショナルなタレントを入れられるかどうか。入山氏は今後、英語と日本語を操るインドの優秀層が日本人と組んで創業し、世界に挑戦する事例の登場に期待を寄せる。
そうした文脈で入山氏が社外取締役を務めるソラコムは、IoTプラットフォーマーとしてSIMを差せば世界中で使えるシンプルなプロダクトを持つ。カルチャー依存がなく、「物」で価値が伝わる。「メルカリに匹敵する、できれば超えるくらいの会社になれる可能性がある」と入山氏は語る。創業者・玉川憲氏との長年の交流に加え、世界を取れる可能性こそが、入山氏が取締役を引き受けた本質的な理由だという。
スタートアップ領域で日本が勝てる芽として、入山氏は漫画・アニメ・ショート動画・ゲームなどのコンテンツ領域にも期待を示した。すでにグローバルコンテンツとして確立した日本の漫画・アニメを、スタートアップ的なスピードで世界へ展開する事例が増えれば可能性は大きい。
上場後に時価総額が伸びない日本企業の構造について、入山氏は3つの要因を挙げる。
第1に、創業者の満足。上場すれば一定の株式から十分な資産が手に入り、「軽井沢にちっちゃな別荘を買って、西麻布で飲んでいればいい」生活が手に入ってしまう。モチベーションが落ちやすい。
第2に、TAM(Total Addressable Market)の限界。国内だけでは伸びず、本来は海外展開が必要なのに行けない、行かない。
第3に、人と組織の作り込み不足。経営者と経営チームの勢いだけで上場までは突破できても、その先の成長は組織と人事の構築なしには実現しない。日本のスタートアップには優れたCHRO人材が圧倒的に少なく、グローバルで戦えるCHROとなればさらに希少だ。米スタンフォードのコンピュータサイエンス新卒が初任給4000万円という世界で、人材を取り合いながらグローバルでコミュニケーションできる経営チームを作るのは並大抵ではない。
入山氏が示したTAMの感覚値は刺激的だ。「今の最低ラインは5〜6億人、理想は20億人」。米国3億人で勝てば世界で勝てる、欧州3億人で勝てばインドや東南アジア・南米にも展開しやすい、アフリカは6億人、東南アジアも合計6億人――そうした人口ベースで市場を捉える。
かつて平成元年の世界時価総額ランキングを日本企業が占めていたのは、世界がまだグローバル化しておらず、当時の世界経済2位だった日本の国内市場の大きさで戦えたからだ。NTTや銀行など超ドメスティック企業がトップに並んでいたのはその象徴である。中国・東南アジア・インド・アフリカが台頭した現在、1億2000万人の国内市場だけで勝負しても伸び代は限られる。
韓国(人口5000万人)出身の起業家がBTSのように最初から世界を志向するのは、国内市場が小さいゆえのマインドセットだ。日本は「中途半端に大きい」がゆえに、国内最適化に流れやすい――入山氏の見立てである。
入山氏の議論を貫くのは、「科学的な経営理論はあくまで自分の経験を整理する道具」という姿勢と、「日本企業はもっと世界を取りにいくべきだ」という危機感だ。M&Aの高値掴みを避ける謙虚さ、不確実性下での腹落ちするストーリー、TAMをグローバル基準で捉える視点、そして人と組織への投資。いずれも、若手経営者がいま自社に問い直すべきテーマである。グローバルを志向するかは個々人の選択だが、国全体としては「世界を取るスタートアップ」の登場が不可欠――入山氏のメッセージは明快だった。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです
