DMM.com会長・亀山敬司氏が、人生における後悔・反省・死生観について率直に語る。「経験を反省してこそ価値になる」「人生は自己満足」という言葉に込められた、独自の生き方の哲学とは。
DMM.comグループの創業者であり会長を務める亀山敬司氏。数々の事業を成功に導いてきた経営者は、自身の人生をどう振り返り、これからの時間をどう捉えているのか。本記事では、亀山氏が語る「後悔」「反省」「死生観」をめぐる対話を通じて、独自の人生哲学に迫る。
人生の意思決定における後悔について問われた亀山氏は、「今振り返るとそれほどない」と即答する。ただし「反省はある」と続ける。両者の違いについて、亀山氏はこう説明する。
「自分でもかわいそうなことをしちゃうことがあるじゃない。でもそれがあったから反省した、と。やってしまった馬鹿なことが、反省さえすれば価値になる」
反省を経た失敗は、自分のなかに「BS(バランスシート)」として蓄積されていくという。「あの時こんな失敗したよね」「あの時なんでこれを伝えなかったのか」という記憶が、次の行動を変える材料になる。経験そのものではなく、経験を反省して直すところまでがセットでなければ、人は豊かにならないという考え方だ。
一方、後悔だけして反省しない人は「同じところをぐるぐる回っている」と亀山氏は指摘する。酒を飲んで暴れ、後悔してはまた繰り返す——そうしたパターンを抜け出せないのは、本当の意味で「懲りていない」からだという。
「人生の後悔がない」というのは、今死んでも大丈夫という感覚に近いのか——そう問われた亀山氏は「バナナの皮で滑って死んだらしゃあない」と答える。
若い頃の亀山氏は、内戦下のユーゴスラビアに渡るなど、死を恐れない行動をとっていた時期がある。当時は「年を取ると心も体も醜くなる」と思い、太く短く生きるロックンローラー的な美学に憧れていたという。三島由紀夫や尾崎豊のような世界観だ。
しかし実際に年を重ねてみると、「意外と悪くない」というのが今の感覚だ。
「30年ぐらい生きてるけど、まあ悪くないなって気はする。生きててよかったみたいな」
そのうえで、生命の価値は長さではなく密度だとも語る。「だらだらと100年生きるぐらいなら、密度の高い20〜30年もあり」。蜉蝣(かげろう)が1日で死ぬとしても、その1日が充実していれば人間の100年と大差ないのではないか、というのが亀山氏の見方だ。
それでも亀山氏は、「あと30年あるかもしれない未来」に対して恐怖がないわけではないと明かす。よぼよぼで辛い人生が待っているのではないか——そんな不安だ。
ただし、それは30代の頃に感じていた「老いへの恐怖」と同じ構造であることに気づいたという。当時の自分が今の自分を見たら「意外とぼんやり楽しんでいる」と感じるのではないか。だとすれば、80代、90代になった自分も同じように、その時々で楽しみを見出しているのかもしれない。
「年取ったら多分、縁側で1日ぼーっとしてヨダレ垂らしてても、ああ1日楽しかったって思えるような気がする」
時間の密度は薄いかもしれないが、「あったかかったね」と感じられる平和な時間がそこにある——そう想像できるようになってきたと亀山氏は語る。
地元の高齢者を観察すると、2種類いると亀山氏は言う。「まあ、えっか」と穏やかに受け入れる人と、常に何かに怒っている人だ。
後者は、自分自身に怒っているのではないかと亀山氏は分析する。かつて会社で偉そうにできた立場、周囲が認めてくれた存在感——そうしたものを失った現実を受け入れられず、「俺はもっと凄い人間だった」と訴え続けてしまう。
受け入れられる人になるためには、年代ごとに「そのキャラ」を確立することが鍵だという。20代には20代の、60代には60代の、90代には90代のキャラがあり、それぞれに面白さがある。亀山氏自身は「ハイカラじいじ」を目指しているそうで、LINEもAIも使いこなす老人として、老人ホームでもマウントを取れるイメージだと笑う。
スティーブ・ジョブズが亡くなる前に「家族と過ごす時間をもっと取ればよかった」と後悔したという有名な話がある。しかし亀山氏に言わせれば、後悔の有無は事実ではなく本人の受け止め方次第だという。
「家から見て取れていないのかもしれないけど、本人が『俺はもう、むちゃくちゃ家族を大事にしたよ』って思い込んでたら、後悔してないじゃん。やった行動よりも、思い込みじゃね」
人生は自己満足である——亀山氏はそう結論づける。バランスが取れていると自分が思えれば、それで十分なのだ。
死後の世界について、亀山氏は天国も地獄もないと考えている。「真っ暗」というより、意識自体がなくなる「無」だと。
「世界の終わりは間違いない。俺にとってのね。終わりだから、そん時に多分後悔も何もない」
聞き手が「死を考えると怖い」と打ち明けると、亀山氏はそれが分かりにくいと返す。怖いと思い続けたら、20代でも50代でも何歳になっても怖いままだ。半年前にインド仏教の指導者・佐々井秀嶺氏に会った際にも同じ趣旨のことを言われたという。「死を受け入れれば受け入れるほど、現世が楽になる」と。
自分自身を受け入れるという点も同じだ。自己嫌悪に飲み込まれず、「どうしようもねえな、まあしゃあないか」と言いながら進む。中学時代に誰かの悪口を言って相手を悲しませた記憶のような小さな罪は、いまも心の隙間に残るが、その記憶があるからこそ「あんな思いはさせたくない」と次の行動が変わっていく。
動画のコメント欄に「自殺を考えています」という相談が届くこともあるという。亀山氏自身はそうした感覚を強く抱いた経験があまりなく、「適切なアドバイスはできない」と正直に語る。
それでも、できることはある。連絡が来たらずっと話し相手になる。「今日は何してた?」「天気はどうだった?」——そんな他愛のない会話を続けるだけでも、聞いてもらいたい人にはそれが救いになる。
アドバイスをひねり出すよりも、ただ話を聞く。それが亀山氏なりの距離感だ。
亀山氏の人生哲学は、後悔ではなく反省を選び、自分を罰しすぎず受け入れ、死さえも「世界の終わり」として淡々と捉えるというものだった。気持ちは自分次第、人生は自己満足——シンプルだが力強いその言葉は、不安と向き合う多くの人にとって参考になるはずだ。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです
