カレーハウスCoCo壱番屋の創業者・宗次德二氏が、経営力の本質、人材育成、現場主義について語る。喫茶店時代のパン耳生活から1000店舗超への成長を支えた「我流」の経営哲学と、お客様への感謝を貫き続けた現場経営の真髄に迫る。
カレーハウスCoCo壱番屋を創業し、1000店舗以上の規模へと育て上げた宗次德二氏。経営者から寄せられた100以上の質問の中から、改めて「経営力とは何か」を問われた宗次氏は、自身の流儀をこう語る。
「せっかく始めた商売・事業を成長発展させたい。そのために、目の前のお客様を大切にしながら感謝の気持ちを持って、誰よりも自分が一生懸命やる。そんな中から明日のヒントが見えてくる。そういうやり方を通してきました」
小さな店を維持・発展させるのは、自分が一生懸命やればいい。そう決めて貫いてきたという。規模が大きくなり、すべての現場には立ちきれなくなっても、その姿勢は一貫していた。自分の店を見たい、来店するお客様に「いらっしゃいませ」と自分で声をかけたい、社員やスタッフの働きぶりも見たい──店舗運営を心から楽しみながら、熱心に現場に立ち続けた。
夫婦の力で経営できるのは数十店舗、せいぜい70店舗ぐらいが限界だろう。宗次氏は一度だけ、そう話したことがあるという。しかし実際に70店舗に達したとき、考えはまったく変わった。
「あ、これ何件でもいけるぞ、と。同じことをどの店も同じ考えでやればいいんだから」
経営力は筋肉のように鍛えれば鍛えるほど増えていく、と宗次氏は語る。人も育つ。資金的な余裕も積み上がっていく。「何があっても大丈夫」というところまで、必死に会社を引き上げていく中で、勢いを感じていたという。
「妙に自信だけありました。ずっと」
食堂という商売柄、技術革新や商品開発で常に新しいことを取り入れる必要があるとは思わなかった。今日の続きの明日を、感謝の気持ちでお客様をお迎えし、満足してお帰りいただく。それさえ徹底すれば、口コミでどんどん広がっていく──宗次氏はそう信じていた。
宗次氏に尊敬する経営者を尋ねると、「ありません、参考にする人」という答えが返ってくる。30数年前にスバル(鈴木商店からの脱サラ起業)にわずかに憧れた時期はあったものの、基本的にはゼロだという。
「我が道を行く、で我流を通そう。お客様への感謝、これがあればいいんだという思いでやってきました」
本も同様だ。「買うのは大好き」だが「読まない」。本屋に行くのは好きで、何冊か買って目だけペラペラと見るが、それを経営に生かすことはなかったという。お店から得られるものを消化し、明日の方向を決める。すべての答えは現場にあった。
人の意見に左右されることを宗次氏は好まない。コンサルタントや先生のもとを訪ねることもなかった。1日1日の積み重ねの中で、最初は月商7万円の喫茶店1件から始まり、一生懸命やればお客様がじわじわ増えていく。「商売とはこういうもんなんだ、真面目にさえやればいいんだ」という思いでやり続けた。
経営者として「ピンチな時」はあったか、という問いに宗次氏は明快に答える。
「最初だけです」
最初の喫茶店開業時に500万円の借金、1年後に1200万円の2号店の借金。その返済と日々の売上が確立できていなかった喫茶店時代、25歳の頃。1年半ほどの間、お昼ご飯はパン耳だったという。
「そんなの当たり前でね。もともとゼロから始めたんですから、苦労とは言わないと思う。むしろいい思い出で、それこそが経営なんだっていうぐらいに思ってやってました」
以後はお山の大将でずっと来れた、と宗次氏は言い切る。
「お店の運営上、接客が7割8割。あとは掃除が1割。提供する商品はもうほとんどこの商品でいいんだっていう確信を持ってましたから、最初から」
メニューはABC分析でCランクのものを時々入れ替える程度。新メニュー追加の楽しみはあるものの、本質ではない。一番大事なのは人と接客だ。
「接客はだいぶ負けたくないっていう意識が強かった。もっとよくしたい、と。そう思っていてもいい店にはなっていかないから、余計一生懸命でした」
社員に対してイライラすることもあったという。「なんで笑顔が出せないの?お客様へもう少し心を込めて接することができないの」と。お客様への感謝の気持ちを込めて仕事ができれば、料理もメニューもより美味しく感じてもらえる。ここは妥協できない一線だった。
人材のマネジメントや育成に苦労する経営者は多い。CoCo壱番屋でも、有能な人材から独立する制度を設けていたため、優秀な社員はやめていく。それでも宗次氏は2桁成長を続けた。どう解決したのか。
「最大のポイントは、やはり事業自体を成長発展させること。すべてがそこに集約されるような気がします」
伸びていれば、勝手に人も来るようになる。資金的余裕ができ、福利厚生や給与を上げられる。求人費、新入社員教育にもお金をかけられる。いいことばかりだから、とにかく増収増益を徹底する。それで人の問題も結果的に解決される──というのが宗次流の答えだ。
社内に派閥もなかった。「ずっとお山の大将で来れましたから。私、人の話を聞きたくないし、反対されるとイライラするんです」と笑う。まともな指摘ならいいが、取ってつけたような一般論で「それちょっとおかしいと思います」などと言われると、誰よりも自分が一生懸命やって業績を伸ばしているのに、と苛立つ。だから議論にならないほうが早く、穏やかでいられた。
中小企業の経営においては、創業者の判断が絶対だと宗次氏は言う。2人や3人の共同経営で始まる例、周囲から出資を募って始める例も多いが、宗次氏はその道を選ばなかった。
「私はあの投資育成会社、一切受けてないです。『うちのお金、資本金を使ってください』と言われましたが、先が見えますから。順調に行って将来株式公開するときに、絶対あれを受けない方がいいなと」
人から色々言われたくない、報告もしたくない。伸びることを確信していたからこそ、外部資本に頼らず自分の判断で突き進む道を選んだ。
CoCo壱番屋を創業した1978年(昭和53年)は、よそ見しながら経営していても右肩上がりで来れた、成長国家の時代だったと宗次氏は振り返る。あれもこれもやりながらゲームをうまく進めるのは、今ではなかなか難しいかもしれない、と現代の経営者へのまなざしも忘れない。
宗次德二氏の経営哲学は驚くほどシンプルだ。尊敬する経営者も、参考にする経営書もない。コンサルタントにも頼らない。外部資本も入れない。ただ、目の前のお客様を大切にし、感謝の気持ちで誰よりも一生懸命に働く──それを徹底した結果として、月商7万円の喫茶店は1000店舗以上のチェーンへと成長した。
商品ではなく接客に7〜8割の比重を置き、新メニュー開発よりも現場のホスピタリティを磨く。人材問題は事業成長そのもので解決する。シンプルだからこそ揺らがない、宗次流「我が道」の経営力である。
※本記事はYouTube動画を元に編集部で再構成したものです


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